2018/9/30 “核”の世界は変えられる!

〇“核”の世界は変えられる“~市民セミナリヨ(2018・9/29)

「市民セミナリヨ」は、長崎の様々な宗教の枠を超えて豊かな長崎の文化を学ぼうと結成された『アジェンダNOVAながさき』(代表・林田愼一郎さん)が企画し、これまで、5月26日「第1回市民セミナリヨ2018・岩永マキ」以来毎月、浦上キリシタン資料館及びその界隈で開かれています。
5回目の今回は、「核兵器禁止条約」に関連し、核兵器問題と真正面から取り組み、元朝日新聞記者で世界の核兵器情勢専門に長年健筆をふるった長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)副センター長・吉田文彦教授(1955生)を講師に招き、『核抑止か、核廃絶か ~最後の被爆地で、最初から考える~』のタイトルで核問題の今を考えました。
「アジェンダNOVAながさき」の問題提起です。
『今年の平和祈念式典の 「長崎平和宣言」で田上富久市長は、核兵器保有国と核の傘に依存している国々に、国連総会決議第1号に立ち返り 「核兵器廃絶」を訴え、日本政府に 「核兵器禁止条約」への賛同を求め、「戦争の文化」から 「平和の文化」を市民社会の力で世界中に広げていこうと呼びかけました。しかし、世界の一部では、そんな長崎の訴えとは逆行し、核軍縮どころか 「使える核」を開発する動きさえあるのが現状です。一体、なぜなのでしょうか。改めて核を巡る世界の状況を把握し、原点に帰って核抑止力とは有効なのか、核兵器廃絶は本当に可能かなどについて長崎大学核兵器廃絶研究センターの吉田文彦副センター長を講師に迎え、客観的に分析していただき、市民と率直に語り合える場を提供します。「長崎を最後の被爆地に」と願う市民にとって、この問題をどう捉え、どう行動していけばよいのかよき指針となれば幸いです。』


<吉田文彦さん>                 <浦上キリシタン資料館>

吉田文彦さんは、講演の骨格を<①核をやめるか、人間をやめるか ②米ソのレイキャビク首脳会談 ③これから大事なこと>の3点と示された後、朝日新聞社退社後、2014年に取り組まれた活動を話されました。

核兵器誕生の原点となったドイツ・ミュンヘンへの旅では、1938年にドイツの化学者オットー・ハーンらが核分裂反応を確認した場所を訪問し、当時の機材が残るテーブルを撮影した写真を示しながら 「これが核兵器開発の引き金になった」と紹介されました。また、翌、1939年にはアインシュタインが、米国ルーズベルト大統領へ書簡を送り、ナチスへの対抗手段が必要として “核兵器開発”を進言したことを示されましたが、同時にこの二人の科学者の“後悔”に触れ、ハーンは「原爆投下を知った時、大きな衝撃を受けた。良かれと思って進めた自分の研究が思わぬ方向に転がっていったことに痛恨の念を抱き、第2次世界大戦後は反核運動に参加した。」 また、アインシュタインも、「戦後、核開発を後悔して反核運動に参加した。」と話されました。
吉田さんの指摘です。『①どれだけ優秀な頭脳でも、人類の進む先は読み切れない。 ②核時代創世記の巨人たちの悔恨は、この瞬間、地球で暮らす何億もの人たちに、絶え間ない「問い」を投げかけて来るのではないだろうか。 ③その「問い」とはーー果たして、核エネルギーと人類は共存できるのだろうか?』

吉田さんの2014年の旅。パリでは、1996年、「核兵器の使用は国際法上、一般的に違法」との勧告的意見を出した国際司法裁判所・裁判長、モハメド・ベジャウィ判事への自宅インタビューに成功。ベジャウィ判事は、勧告的意見の末尾に加えられた裁判官の「宣言」に於いて“本心”を綴ったとされ、「国家の存亡がかかる極限状況において、ある国が核使用したとする。その場合、核戦争がエスカレートして、人類の存亡が危機に瀕するのも事実だろう。人類の存続などへの考慮よりも、ためらうことなく国家の存続を優先すのは無謀なことだ」と述べている。吉田さんはインタビューの中で、初めて、「(核兵器は)悪魔の兵器なのです」の言葉を引き出されたそうです。
東京での活動も続きました。原爆詩の朗読などを通じて反核・非核を訴えている女優・吉永小百合さんへのインタビューでは、「『核の傘』の下に入っているにせよ、どういう形にせよ、日本人だけはずっと、未来永劫、核に対してアレルギーを持ってほしい。あれだけひどい広島、長崎の被害があったのだから。みんな、それをしっかり知って、核兵器はノーと言ってほしい。どんな状況でも」の静かだが、力強い声を聞きました。
長崎で開かれた朝日新聞社主催「核廃絶シンポジウム」に参加した東京大学教授・西崎文子さんの言葉は強烈でした。「①広島・長崎の原爆体験は、その絶対的な悲惨さでもって、無条件で許せないものがこの世に存在しうるという強力なメッセージを私たちに突き付けている。 ②許されない悲惨さがあることを、越えてはならない残酷さがあることを、有無を言わさぬ悪が存在することを気づかせてくれるのが原爆体験だ。 ③この悲惨さを許せば人間が人間でなくなってしまうーー被爆体験が突き付けるのはそのような感覚だ」
再び、吉田さんの指摘です。
『① 悪魔の核兵器なのだから、人間はこれを受け入れがたいと思うのがむしろ当然であり、であればこそ、被爆体験をした日本人が核アレルギーを持ち続けて、核廃絶を訴えていかなければならない。 ②人の道を大きく踏み外した兵器だからこそ、私たちが核アレルギーを強く持ち、そのことに鈍感な人たちに説いていかなければならない。 ③核アレルギーは、人間を人間たらんとするための、人道エネルギーなのである。』
『① 核をやめますか、それとも人間をやめますか? ②答えは明らかだ。 ③すぐにとはいかなくても、人間であり続けるために、核をやめていく他はない。そのために、人間であろうとする本能的な叫びのような核アレルギーを持ち続け、びんのフタが開いて人間世界に飛び出してしまった悪魔をびんに戻さなくてはいけない。』

吉田さんの講演は、このあと、アメリカとソヴィエトの首脳が歴史的に初めて、“非核化”を共有したと言われる1986年、アイスランド・レイキャビクでの米ソ首脳会談<米=レーガン大統領、ソ=ゴルバチョフ大統領>について、公開された会談文書を読み解きながら詳細に報告され、残念ながら、成功裡に終わらなかったものの、後の冷戦終結へつながったと一定の評価を述べられました。
そして最後に、これから大事なこと「次の政策の準備」として・・・・・
『① 核廃絶を目指す政治指導者がいれば、世界は変えられる。 ②核廃絶をめざす政治指導者の登場を促す、国内外の市民運動が極めて重要。 ③オバマ大統領側近の言葉「人々が核兵器に対する考え方を変え、それを反映する形で核廃絶に情熱を傾ける政治指導者が出て来た時に、“こうすれば核廃絶できます”という構想、政策を提示できるように準備しておく必要がある」』 と提示されるとともに、『核兵器への「悪の烙印」・人道的アプローチから、核=悪魔の兵器であるとの考え方を広め、定着させていく。そして、核兵器の「非正統化」・核抑止への依存は安全保障政策として合理的ではないこと、核抑止以外の代替手段の方が安全保障政策として信頼出来ることなどを分析・理論構築して、政策転換を促す』必要性を指摘されました。

講演の締めくくりは、オバマ・前アメリカ大統領の広島演説(2016年)でした。
『*科学によって、私たちは海を越えて通信を行い、雲の上を飛び、病を治し、宇宙を理解することが出来るようになりました。しかし、これらの同じ発見は、これまで以上に効率的な殺戮の道具に転用することが出来るのです。
*現代の戦争は、私たちにこの真実を教えてくれます。広島がこの真実を教えてくれます。科学技術の進歩は、人間社会に同等の進歩が伴わなければ、人類を破滅させる可能性があります。原子の分裂を可能にした科学の革命には、道徳上の革命も求められます。』

コメント投稿は締め切りました。