2017/12/13 みどりのせんそうほうき

  〇オスロに行った“みどりのせんそうほうき”(2017・12/13)
   ~朝日新聞が本紙・社会面で掲載!~


<2017年12月13日・朝日新聞>

2017年ノーベル平和賞の授賞式が12月10日ノルウェー・オスロで行われ、受賞に大きく貢献した広島・長崎のヒバクシャらも現地で見守りました。
日本の被爆者団体と並んで世界一周クルーズ“ピースボート”の「おりづるプロジェクト」に参加し世界各国で被爆証言と共に核兵器廃絶を訴える活動を展開したヒバクシャも20人余りが参加し、長崎からも4人が参加しました。
このうちの一人で、ピースミュージアム企画展示「11時2分プロジェクト」代表の小川忠義さん(73)は、“みどりのせんそうほうき”を持参し現地で関係者に配布しました。
小川さんから今朝(13日午前6時36分)「オスロはマイナス6度、刺すような寒さですが、ノーベル賞受賞で心は燃えています。“せんそうほうき”はアッチコッチで配布し、先ほど全部終わりました」とラインで報告が入りました。
朝日新聞は朝刊(13日付け)の社会面で、小川さんとこの“みどりのせんそうほうき”を取り上げ掲載しています。現地に同行された田部愛記者の写真入りレポートで、田部記者からは出発前に取材がありピースミュージアムが対応していました。

朝日新聞に掲載された記事 『「ほうき」に託す戦争放棄~ノーベル平和賞授賞式』から、一部を抜粋して掲載させて頂きます。

 『11日夜、平和賞を受賞した核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の交流パーティーで、小川さんはフランスの若いNGOメンバーにほうきを手渡した。「『ほうき』は、日本語で『放棄』でもあるんです」。だじゃれの説明を聞いた若者たちは大喜びでスマートフォンで撮影した。
 ほうきは、被爆者で長崎市のナガサキピースミュージアム専務理事の増川雅一さん(76)から預かった。平和を願う企画展などが開かれるピースミュージアムで配られ、「みどりのせんそうほうき」と呼ばれている。
 憲法9条の「戦争放棄」にかけて、1991年の湾岸戦争の時に東京の主婦が考案した。現在は、全国にいるピースミュージアムの会員やボランティアが作っている。「難しい話をするよりも訴えやすいし、相手との交流にもなる」と増川さん。長崎県内の小中学校などで、平和教育の一環として作り方を教えている。今回は体調を考慮してオスロ行を断念し、小川さんにほうきを託した。
 被爆者の平均年齢が81歳を超えるなか、1歳で入市被爆した小川さんは「若手」。原爆の記憶はなく、「リアル」な被爆証言はできないが、年上の被爆者の話を聞いて自分も発信できるようになりたい」と語る。多くの人に「あの日」に思いをはせてもらうため、長崎に原爆が投下された午前11時2分の各地の様子を写した写真を集めた展示活動などを続けている。
 今回のノーベル平和賞は先輩の被爆者たちが積み重ねた努力のおかげだと小川さんは考える。でも、「もらって喜んで、その後、尻つぼみになったらいけん」。オスロでは、小さなほうきとともに自分で折った折り鶴を各国の人たちに贈った。目標は「最後の被爆者」になるまで長生きして、核廃絶と平和を訴えることだ。
(オスロ=田部愛)』


「みどりのせんそうほうき」はどなたでも簡単に作ることができます。
作り方をご希望の方は、事務局までご連絡下さい。
幼稚園・学校などへはスタッフの派遣も可能です。事務局へご連絡下さい。
電話:095・818・4247 、E-mail :museum@nagasakips.com  です。

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