2017/12/19 被爆地復元“原点資料”発見!

〇被爆地復元“原点資料”発見!(2017・12/18)

長崎市が昭和45年(1970)度からの5か年事業で実施した「長崎・原爆被災復元調査」で作成された「被災地復元図」の原点となった手書きの地図や家族調査・消息等の基礎資料がこのほど長崎市内「浦上地区」で大量に見つかりました。


<原爆落下中心地付近の住居地図>   <家族調査票「8月9日5人爆死の記入」>

この資料は、長崎市平和町「浦上キリシタン資料館」の地にあった岩波酒店(故・岩波章さん経営)の自宅倉庫から段ボールひと箱(文書類約100点)に入った状態で見つかりました。岩波章さんは1986年・64歳で死去しましたが、このほど遺族が遺品の整理中に見つけ出し、関係者と相談の上、12月18日公表しました。


<12月18日:浦上キリシタン資料館*岩波智代子さん・深堀好敏さん>


<岩波章さん*1986年死去・享年64歳>

被爆地の復元は昭和40年代初め頃から市民間で始まり、広島市が先行しました。長崎市は2年ほど遅れて始まり、原爆で大きな被害を受けた山里地域を中心に関係者が乗り出し、家族6人が爆死した岩波さんも世話人に名を連ねました。
12月18日、当時の世話人の仲間の一人、深堀好敏さん(現・長崎平和推進協会写真資料調査部会長・88歳)の協力で、岩波さんの長女・智代子さん(現・浦上キリシタン資料館オーナー・東京在住・70歳)がマスコミの取材に対応し、資料保管の様子などを説明しました。


<12月19日付・長崎新聞>

公表した資料は、岩波さんが担当した浦上地域の「山里地区一帯」の被爆時の地図<建物・公園・住居配置が詳細に手書きされている>をはじめ、家族の消息を記載した「世帯調査票」や、被爆地を去って各地に転居した住民らとの交信の葉書・封書など100点を越えています。
長崎市の原爆被災復元調査事業は、爆心地から半径2キロメート以内の地域48か町が対象で、49年度末(1975年3月)には作業をまとめて「被災地復元図」が発行されますが、今回のように、復元の“原点資料”はほとんど確認されていません。
岩波智代子さんは、「亡き父の執念とも言える被爆の原点探しを心に留めて、平和への取り組みを進めていきたい」と話しており、今後、資料を整理し、浦上キリシタン資料館での展示や、長崎原爆資料館への寄贈・寄託などを検討することにしています。

コメント投稿は締め切りました。