2017/9/26 南相馬の子どもたちから③

〇“昔も今も日本の役に立つ島・軍艦島”~“長崎の旅“レポート③
長崎港外に浮かぶ「軍艦島」は、1921(大正10)年三菱長崎造船所で建造中の戦艦「土佐」に外観が似ているところから呼ばれるようになりましたが、正式の名称は「端島(はしま)」。
江戸時代後期に燃える石(石炭)が見つかり、1974(昭和49)年の閉山まで、明治・大正・昭和の日本近代化に貢献しました。
閉山後は無人島となりましたが、2015(平成27)年、世界文化遺産に登録されました。
遺産の対象は明治時代に作られた石組の「岸壁」と「海底坑道」ですが、石炭を掘り出すために移住した島民のために建設された日本初の鉄筋コンクリート高層住宅(1960年・昭和35年の最盛期には約5100人が居住)など生計を営むためのあらゆる施設・設備が風雨にさらされたまま廃墟として現存しており、観光地として脚光を浴びています。

●“長崎の旅”レポート・第3回 “昔も今も日本の役に立つ島・軍艦島”(中学校2年生:N・I子)
『(私の心に残った一つは)軍艦島に上陸したことです。軍艦島は気温が高く、日差しも強かったです。
昔そこに人が住んでいたと思うと、とても大変だったと思います。しかも地下何百メートルで石炭を掘っていたと考えると、昔の人々はとても強く立派だったんだなと、思いました。
軍艦島は自然災害にあったり、水不足になったりしましたが、昔の人々の知恵で乗りこえてきました。しかし、日本政府が石炭から石油を中心にしてしまい、軍艦島は無人の島になったのです。私は軍艦島はかわいそうな島だったんだなと思いました。
今の軍艦島は映画のさつ映にも使用され、世界遺産にもなっています。
私は昔も今も、日本の役に立つ島なんだと思います。』

●“最後まであきらめずにやり抜く!”(中学校2年生:M・M子)
『軍艦島について書きます。
軍艦島は、世界文化遺産にも登録されていて、今は、観光スポットにも人気になっています。軍艦島は、最初は、ただの島だったけど、石炭がみつかった。それからたくさんの人々が引っこしてくることになった。そして、軍艦島には、たくさんの人と自然ができた。だが台風五号のせいで、軍艦島は、自然や家がたくさんこわれてしまった。それから、軍艦島からは、たくさんのひとびとが出ていってしまった。それにより、軍艦島は、千九百七十四年(昭和四十九年)四月二十日には、無人島になってしまった。
このように、大変な状況になってしまっても、最後まで、あきらめずにやり抜くという大切なことも学べることもできました。もし、またこのようなきかいがあったら、ぜひまた、参加したいなと思いました。』

●“やっぱり軍艦島!”(小学校6年生:K・M)
 『軍艦島に行きました。
 ぼくはいろいろ見に行って一番すごいなーと思ったのは、やっぱり軍艦島です。
 世界遺産になるのはすごいことだと思いました。』

●“長崎の旅”レポート・第4回“心に残ったグラバー住宅!”は、9月28日掲載の予定です。

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