2017/9/24 南相馬の子どもたちから②

〇“核は人間と共存できない!”~“長崎の旅”レポート②


<1945(昭和20)年10月「破壊された浦上天主堂」*撮影・旧文部省学術会議被爆調査団>

長崎市を訪れた「南相馬・夏季体験学習」の子どもたちにとって、初めて被爆地での見聞は強く印象に残ったようです。
かつての被爆地域は緑豊かで当時の惨劇を目にするものはほとんど残されていません。しかし、原爆資料館及び平和祈念館見学・青少年ピースフォーラム参加・平和祈念式典参加などを通じて被爆者等から直接被爆の実相を聞き衝撃を受けました。
何人かが平和への強い思いを込めたメッセージを届けてくれました。

●“長崎の旅”レポート・第2回 “核は人間と共存できない!”(中学校2年生:K・R)


<青少年ピースフォーラム*被爆者の講話>

『僕は被爆者の話でこんなことを聞きました。「核は人間と共存できない」
 僕はこの言葉が一番心に残りました。確かに核と人間は共存できません。一歩間違えればとてもおそろしい物となってしまいます。そのようなことを僕は心に残し、絶対に忘れることがないように、何年でも、何十年でも核爆弾のおそろしさをみんなに伝えていくべきだと思いました。
 被爆者の平均ねんれいは80才をこえています。これから原爆のことがわすれられていくと思うと、とても悲しいです。
 原爆があって72年たちましたが原爆はわすれられません、いえ、絶対忘れてはいけないのです。被爆者がいなくなっていくと次に伝えていくのは私たちなのです。他人事のように思わないで下さい。戦争があってはいけないのです。皆が仲良くくらせる。そんな世の中をつくっていくのが私たち一人一人の役目だと思っています。』


<11時2分で止まった「被爆時計」*浦上キリシタン資料館所蔵>

●“戦争は二度とおこってはいけない!”(中学校2年生:O・R)
 『長崎ではとても悲しいできごとがありました。それは、8月9日の11時2分に落とされた原爆によるものでした。その頃は、日本とアメリカが戦争をしており、広島・長崎が原爆を落とされる対象になってしまったのです。
 原爆の爆発は、長崎でも7万人もの、尊い命を奪っていきました。僕は、この事実を知った時、とても胸が苦しくなりました。普通の日常がたった一つの原爆、ほんの数秒もしないうちに消し去られてしまうことがぼくだったら絶対に立ち直ることができないと思います。
そして被爆者の方たちが言うように、戦争は二度とおこってはいけないものだと思いました。
僕は今回のこの体験をいかして、戦争を止めるなんてことはできませんが、そういう悲しいできごとがあった上で今があるということを胸に刻み、生きていきたいと思いました。』

 
<長崎原爆「ファットマン」*原爆落下地域「グランドゼロ」>

●“核兵器にない世界を作る必要!”(中学校2年生:N・I子)
『長崎原爆資料館では、原子爆弾のい力、そして恐ろしさが分かりました。原子爆弾は、熱戦、爆風、さらに放射線で長崎をおそい、破壊しました。私はそれらの被害を受けた人々や物を写真で見たり触ったりして、核の恐ろしさや恐怖を知りました。人は死に、物は形が変形し、街は無くなり。私は、心を痛めました。
しかし、この核兵器を持つ国があるのです。私は同じ歴史をくり返してはいけないと思います。そのためにも、核兵器の無い世界を作る必要があると思いました。』

●“未来の子にも教えたい!”(小学校6年生:N・E子)
『八月九日になり、平和公園でひばく者の体験をもう一度聞きました。その内容は、とても悲しく、なみだで目がうるっとしました。私がとてもかわいそうに思った一文は、「ようやく辿りついた山王神社近くの親せきの家は倒かいしていました。その中で家のはりを右うでにだきかかえるような姿で18才の姉は息絶えていました」のところです。このお話を聞いて、未来の子にも教えたいと思いました。これからも平和を祈り続けたいです。』

 
<平和祈念像*原爆殉難教え子と教師の像>
 
<国立追悼平和祈念館:水盤(7万の灯)・光の柱(追悼空間)>

●“学んだことを生かして生活していきたい!”(小学校6年生:I・M子)
  『私の心に残っていることの一つは「ピースフォーラム」です。原子爆弾のおそろしさ、核兵器のおそろしさなどたくさんのことを学びました。まず、原子爆弾の被害で大怪我をしたり、歯みがきをすると出血したり、かみの毛が抜けたりしたそうです。(フィールドワークでは)「原爆殉難教え子と教師の像」をみました。先生が見守っていて、教え子はそれにこたえようとしているそうです。また、もう一つは「長崎の(平和祈念)式典」です。私は初めてこの式典に参加しました。もくとうするときにサイレンの音がきこえて少し怖くなりました。そのときになみだがでそうになりました。私はこの長崎の旅に参加して、たのしかったことと学んだことがいっぱいありました。この学んだことを生かして、これからも生活しようと思いました。』

●“平和を願って・・・!”(小学校6年生:I・R子)
『ピースフォーラム(フィールドワーク)では、像の意味などを教えてもらいました。原爆殉難教え子と教師の像は、先生が見守っていて、生徒はそれに答えるという意味を表しているそうです。国立長崎原爆死没者追悼祈念館の外にある水盤の小さなビーズみたいなものは、亡くなった人の数だそうです。水の意味はえいえんの平和だそうです。(また室内の)十二本の柱の意味は未来への平和をねがうということです。私はこれを聞いてすべて平和をねがってつくったんだなとおもいました。

●“若い世代がうけつがなければ!”(中学校2年生:T・K)
『僕たちは、原爆資料館に向かいました。僕は、初めてではなく前にも来たことがあり2回目だったけど、もう一回来てみてやっぱり悲しい気持ちになりました。その理由は、さまざまな悲さんな写真や実物などが置いてあり、心から悲しい気持ちになったからです。例えば、原爆が落ちたすぐ近くの人が影しか残っていない写真や、死んだ弟を背負いくちびるをかんで立っている男の子の写真、被ばくして顔の半分がぐちゃぐちゃになっているしゃしんなどです。それを見て、とても悲しい気持ち、二度とおこってほしくない、という感情がこみ上げてきました。
そのあとの、ピースフォーラムでの話を聞いた時に、「その場にいなければひげきは分からない」という言葉が印象に残りました。僕は、確かにそうだなあ思いましたが、しかしそれでもそのひげきは僕たち若い世代がこのはなしを受けついでいかないといけないんだなあと思いました。
このような事は二度とおこってほしくないし、戦争はダメだなあという事を改めて実感することができ、きちょうな体験ができて良かったです。』


<青少年ピースフォーラム*「わたしたちにできること」>

●“長崎の旅”レポート・第3回 “昔も今も日本の役に立つ島・軍艦島”は、9月26日掲載の予定です。

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