2015/4/25~5/18 長崎大学熱研“感染症展”で「風に立つライオン」

さだまさし会長の名曲「風に立つライオン」が生まれた長崎大学熱帯医学研究所の企画展「感染症とたたかう長崎大学展」が長崎市「長崎歴史文化博物館」で開かれています。。
国内で熱帯医学専門の研究所は現在長崎大学のみで、歴史的には、日本が大陸へ進出した1942年、旧長崎医科大学に「東亜風土病研究所」として設置されました。中国大陸に蔓延する風土病の研究を通じて日本の大陸進出を支える目的があったと言います。
終戦で研究は広範囲に広げられ、研究の成果はフィラリア症や住血吸虫症の国内根絶に貢献しただけでなく、アフリカを中心に海外への医療支援活動に積極的に取り組んでおり、その活動から、名曲「風に立つライオン」が生まれました。

150501・長崎「熱研展」183KB
<2015・5/1付・長崎新聞>
講演会場・196KB
<5月2日・記念講演会>

記念講演会では、熱帯医学研究所の前所長(名誉教授)・青木克己さんと現所長(教授)・森田公一さんが感染症との闘いの歴史と現在の取り組み及び今後の課題を各々紹介しました。
長崎大学熱研が市民向けに開いた総合講演会は、2009年に東京都で開いて以来で、エボラ熱やデング熱などで感染症が世界的に耳目を集める中とあって多くの市民が聴講しました。
この中で青木さんは、「風に立つライオン」によって熱研の活動への関心が深まったと指摘し、世界の感染症と闘う拠点として一層力を尽くして行きたいと強調しました。

「ダクタニ・ジャパニ」226KB
<TV「ダクタニジャパニ」>
「風に立つライオン」214KB
<映画「風に立つライオン」>

「風に立つライオン」は、1972(昭和47)年、NBC長崎放送が芸術祭参加作品として制作したドキュメンタリー『ダクタニジャパニ』(*スワヒリ語で「日本のお医者さん」の意)が原点です。当時、アフリカ・ケニアのナクール・リフトヴァレー州立病院に派遣された長崎大学の医療グループの活動を記録したものですが、取材に当たった武縄潔さん(2003年逝去)が当時NBCと関わりのあったさだまさし会長を、医療グループの医師・柴田紘一郎さんらと引き合わせました。
10数年後、「風に立つライオン」としてアルバム『夢回帰線』(1987年7月発売*音楽で楽しむ世界旅行)に収録され、大反響を呼んで今日に至っていることはご存じの通りです。

コメント投稿は締め切りました。