2021/9/25 写真展「KOSOVO 紛争のあとで」開催中

現在ミュージアムでは、長崎市出身でドイツ在住の写真家、サトミ・へニックフェルトさんの写真展「KOSOVO  紛争のあとで」を開催しています。

 
    〈紛争で崩れ落ちた建設会社の建物〉  〈サトミ・へニックフェルトさん〉

 旧ユーゴスラビア連邦の一つ、セルビア共和国の自治州だったコソボでは、1990年代後半、セルビアからの分離独立を求めたアルバニア系住民と、これを認めないセルビア側との間で激しい民族紛争が起き、1万人以上が犠牲になり、約80万人が難民となりました。

へニックフェルトさんは、長女が小学生の時、同級生にコソボ難民の女の子がいたことがきっかけとなり、2011年・2015年・2019年にコソボを訪れて紛争後のコソボを撮影しました。
長崎初開催となる今回の展示では、2015年・2019年に撮影したコソボの街並み、人々の生活や食事、紛争で亡くなった方の合同葬儀の写真など146点を展示しています。

 
       〈展示風景〉  〈生活雑貨やコーヒー、紅茶、人気のエナジードリンクなど〉

 展示初日にはマスコミ各社の取材があり、TV2社、新聞4社、ニュースサイト1社で紹介されました。
へニックフェルトさんは新型コロナウイルスの影響で来日できなかったため、長崎にお住まいの妹さんが取材対応をされました。

 展示に寄せられた、へニックフェルトさんのメッセージを全文ご紹介します。

「私がなぜコソボと出会ったのかについてお話しします。
それは娘が小学校1年生の時に同じクラスにいたコソボの難民だった女の子との出会いから始まりました。
私が住んでいるドイツのデュッセルドルフにも当時たくさんの難民の家族がいましたが、コソボ紛争の頃はテレビのニュースで見るくらいしか旧ユーゴスラビアの事は知りませんでしたし、特別関心を向けることもありませんでした。
娘がその子と友達にならなければ、コソボへ写真を撮りに行くことはなかったでしょう。
遠い国で起きている事、私にとってもそういう事だったのです。
娘が知り合った女の子とそのご家族とご縁ができたことで、一緒にご飯を食べたり、一緒に遊んだりと彼らと触れ合う時間の中からコソボの生活を知ることになりました。
彼らの写真を撮らせていただくことで、民族や宗教とは何かと考えさせられることへと繋がりました。

「あの戦争は一体誰のためだったのか。」
多くの人が犠牲になり、今もまだどこかの国で民族同士が対立しています。

娘とコソボの女の子は今年で24歳。
これからもずっと親友のままでいて欲しいと思っています。

本日は写真展にお越し下さり、ありがとうございました。
Faleminderit!ファレミンデリット(アルバニア語で「ありがとう」です。)
ご覧いただきました写真の中で何か一つでも心に響くものがありましたら幸いです。
                      サトミ・ヘニックフェルト」

サトミ・へニックフェルト写真展「KOSOVO  紛争のあとで」は、10月3日(日)まで開催しています。
9月27日(月)は休館、最終日は14時閉館となります。
皆様のご来館をおまちしております!

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