2020/4/8 「“名作は暗室で生まれる”」

〇“名作は暗室で生まれる”
    ~長崎新聞・浜辺耕作「モノクロの祈り」④(2020・4/8)
長崎新聞 『被爆・戦後75周年』企画の「長崎原爆と創作」第1部・美術。好評連載中の写真家・浜辺耕作さんの「モノクロの祈り」4回目は、ナガサキピースミュージアムとの交流深い国際的な写真家・東松照明さん(1930-2013)や日本を代表する自然・動物の写真家・栗林慧(さとし)さん(1939生・長崎県田平町在住)との出会いに触れながら、今は少なくなった写真の“暗室作業”での作品化の苦労を語っています。
東松照明さんは、2004年、平和な時のアフガニスタンを活写した写真展『“アッサラーム・アレイクン“里帰り展』(2004・1/2-2/29)をナガサキピースミュージアムで開催。その際、当時現地で活動していた中村哲医師(2019年銃撃死)を招いて旧香港上海銀行長崎支店記念館で対談・講演会「アフガニスタンは今」を開催し、武器を携帯しない“丸腰”での国際貢献の大切さ、平和のあり方を強調しました。
栗林慧さんは、同じ2004年、自らが立ち上げた地域の写真愛好家の“フォトクラブ・最西端”の写真展『西海の光と風』(2004・3/2-21)をナガサキピースミュージアムで開催。自然を守る大切さを訴えました。

<2020・4/8付:長崎新聞・第15面文化欄>

山口恭祐記者の取材です。全文紹介させて頂きます。

 『        名作は暗室で生まれる  ~モノクロの祈り④
  戦争を身をもって知る“人生の師”高浪藤夫(87)=前回紹介=に触発され、原爆や平和の問題に目を向けるようになった諫早市の写真家、浜辺耕作(73)。1990年代以降、自身の個展を「地球同郷」 「空は一つ」といったタイトルで開いてきた。国や人種を問わず世界は一つと訴える平和希求のメッセージを、自身の思いとして掲げている。
 もう一人、原爆をテーマにした創作に影響を受けた先人がいる。長崎の被爆者を撮影したモノクローム作品で知られる写真家、東松照明(2013年、82歳で死去)。1960年代から長崎を訪れ、半世紀にわたって被爆者に寄り添い、91~2010年は長崎市に居住していた。
 1999年、浜辺がコクラヤギャラリー(同市)で三女、花織と開いた父娘展「地球同郷」の会場に、ふらりと東松が訪れた。「親子で写真で対話ですか。いいですね」-。初対面の東松は気さくだった。浜辺はその後、同市内の東松のアトリエをしばしば訪れた。フィルム撮影し、自ら現像、焼き付け(プリント)をするモノクロ作品の作家同士。平和や被爆者への思いを聞き、作品に助言を受けることもあった。
 「同じ原爆をテーマにしていても、僕は(被爆者の)傷口をえぐるような撮り方はできない。被爆者自ら『撮ってもらおう』という気持ちにさせたのが東松さん。優しい心を持っていた」。浜辺は振り返る。
 東松の死去後の2013年8月、新聞に寄せた随筆で浜辺は、「被爆遺構を目にするたび 『風化しつつある現実から目をそらしてはならない』と感じる。そして、1枚でも多くシャッターを切ることが、長崎人の私に与えられた宿命」と記した。
 東松の「名作は暗室で生まれる」という言葉が心に残る。暗室作業で、画面の中の部分ごとに明度を上げたり、わざと暗くしたりするといった技法を駆使し、思い描いたイメージを作り上げる。近年はデジタル撮影主体に移った浜辺だが、それまでは暗室で作品の陰影を操り、数多くの印象的な作品を生んできた。
 05年11月、浜辺は米国オレゴン州ポートランドでの「長崎8・9平和展イン・ポートランド」に参加した。毎年夏、長崎市で開かれる「ながさき8・9平和展」の出品作家らが小品を持参し、現地で展示販売して発信や市民交流を図る取り組み。同年夏の平和祈念式典前後に撮影した「『空は一つ』ONE SKY」を出品した。
 周辺が丸くゆがんで写る魚眼レンズを使い、平和祈念像の頭上に広がる雲を撮った。イメージ通りの雲が現れるまで、何日も平和公園に通って撮影。外周部の暗さを強めに焼き付け、丸く浮かび上がった白い雲を原子雲に見立てた。あの日の空を思いながら、平和祈念像の上に原爆が落ちることもあり得るという現代の核の脅威に、静かな警鐘を鳴らした。  =文中敬称略= (山口恭祐)』

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