2020/3/26 証言の会50年~原点をみつめる」展はじまりました

現在ミュージアムでは、被爆証言集の刊行を続ける「長崎の証言の会」の50年のあゆみを紹介する企画展「証言の会50年~原点を見つめる」を開催しています。
「長崎の証言の会」のこれまでの活動を分かりやすくまとめた年表や、初期の貴重な資料、写真を展示しています。

展示にあたってのご挨拶です。
「1945年8月9日、米国によってヒロシマに次いでナガサキに投下された原子爆弾は長崎の市民だけでなく、朝鮮や中国、連合国の戦争捕虜の方々を含めた十数万人を殺傷しました。それは、まさにホロコーストでした。
しかし、占領軍が敷いたプレスコードによって、原爆に関する報道はほとんど禁止されてしまいます。
プレスコードをかいくぐって出版されたものは、原民喜『夏の花』や大田洋子『屍の街』など広島関係のものが圧倒的に多く、長崎に関しては、原爆投下を「神の摂理」とした永井隆の『長崎の鐘』など、ごく一部にすぎませんでした。
長崎の被爆者たちも訴えたかったのです。しかし、占領が解けた後も、長崎に関する記録はあまりありませんでした。その数少ない例外が、被爆者で医師の秋月辰一郎さんが、自身の浦上第一病院での被爆体験を描いた『長崎原爆記』(1966年)でした。
1967年、厚生省は、「健康・生活の両面において、被爆者と非被爆者との間に著しい格差はない」とする「原爆白書」を発表し、これらに憤った長崎の被爆者らが翌68年に独自の被爆者実態調査を行います。この調査がひとつの基礎になって、鎌田定夫さん(当時・長崎造船大学助教授)らを中心に1969年に発行されたのが『長崎の証言』です。現在の「長崎の証言の会」の始まりでした。鎌田さんは秋月さんの『長崎原爆記』も読んでおり、秋月さんや弁護士の横山茂樹さんらを巻き込んで、「長崎の証言運動」は徐々に大きな動きになっていきます。
以来、長崎の証言の会は、今日までの50年間、被爆の実相を証言集に収め、核兵器の非人道性を世界に訴えてきました。
強制連行被害や外国人被爆者問題にも早くから取り組んでいます。また、「不戦の集い」や修学旅行生などを対象にした「碑めぐり」などの活動を通して、戦争や核兵器のない世界の実現に運動を重ねてきました。
50年の歩みを振り返ろうと企画した今回の展示会では、初期の貴重な資料を集めたほか、会の活動を紹介しています。この展示会を機に、あらためてナガサキ・ヒロシマの惨状を想起して、戦争・そして核兵器のない世界になるように、「長崎の証言の会」の活動へのご理解とご賛同をお願い申し上げます。
2020年3月25日  長崎の証言の会」

「証言の会50年~原点を見つめる」展は、4月18日(土)まで開催しています。月曜日休館、最終日は14時閉館です。皆さまのご来館をお待ちしています。

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