2020/3/15「“目を背けてはならない”」

〇“目を背けてはならない”
  ~長崎新聞原爆企画・浜辺さん特集(2020・3/15~)

長崎新聞の「被爆・戦後75周年企画」で、『被爆マリア像』で著名な写真家・浜辺耕作さんの特集が始まりました。1回目の3月15日(日)は、第18面・文化欄:「長崎原爆と創作」に“目を背けてはならない“の大きな横見出しで、被爆やキリシタンを主なテーマとした写真家を目指した動機や経歴が紹介されています。


<被爆マリア像(2004)>  <聖母マリア御図(2014)>   <教皇長崎ミサ(2019)>

浜辺さんは長崎市のカトリック地域で生まれ育った“戦後派”の写真家ですが、信徒ではなく、しかも若い時は都会の大病院の検査技師として働いた写真家です。帰郷後にシャッターを押す機会が増え、原爆やキリシタンをテーマとした作品が増え、趣味のカメラマンから“写真家”となりました。
市民レベルのギャラリーである「めがねのコクラヤギャラリー」をはじめ、「ナガサキピースミュージアム」、「浦上キリシタン資料館」などを舞台に活動され、2019年のローマ教皇長崎訪問では公式カメラマンを委嘱される栄誉に浴しました。


<2020・3/15付:長崎新聞>

新聞の記事は、同社生活文化部の山口恭祐記者のネーム入りで掲載されています。全5回連載の予定で、次回からは毎週水曜日の文化面に掲載されるそうです。第1回「モノクロの祈り」、全文を紹介させて頂きます。

『  「目を背けてはならない」
 原爆や戦争をテーマに美術作品を制作するとき、体験者は自身の記憶を原点として、創作の意欲や具体的な表現に昇華させたことだろう。だが、直接の体験がない戦後世代の作家は、どのようにテーマと出合い、作品に何を込めたのか。「長崎原爆と創作」第1部「美術」の二つ目の連載「モノクロの祈り」は、長崎原爆と向き合ってきた、ある戦後生まれの写真家の反省を追った。
                    ◆
 諫早市の浜辺耕作(73)は40年以上、白と黒だけで表現するモノクロームの芸術作品を撮り続けている。近作は「ながさきの記憶」をテーマに、教会やマリア像、そして長崎原爆の遺構が主な題材。被爆者の姿や悲惨な破壊跡を記録するといった、リアリズムの手法は手掛けない。
 どの作品にも人物の姿はない。実際の風景や建物、物体を被写体に、魚眼レンズを使ったりして独自の構図と造形を追い求める。現像技術を駆使し、鮮烈な光と影を表現する。そうして生まれた作品は、現実を写しながら、どこか幻想的な静けさをたたえる。
 家族や親族に被爆者はおらず、戦争や原爆を身近に感じて育ったわけではなかった。キリスト教の信者でもない。だが、作品には、「長崎の人間として目を背けてはならない」という、平和を願う思いを込める。
 「戦後生まれで平和の中で育った。殉教や被爆の悲惨は想像するしかないが、現実にはもっと残酷だったはず。悲しい歴史が風化しないよう、長崎の記憶を作品に残したい」
 同時に、芸術作品としての完成度を追求。マリア像や被爆遺構が持つイメージを創意によって増幅させ、今そこにあるものしか写せない写真という手段で、過去の記憶や心象風景を想起させようとする。
 このとき、モノクロであることが、多くの心に訴える上で力を発揮するのだという。「例えば、原爆後の焼け野原で見たコスモスの花の色は、人によって違うはず。カラー写真で赤いコスモスを見せたら『自分の見たコスモスはこの色じゃない』と思う人が必ずいる。モノクロなら、誰でも記憶の中の色をのせて作品を見ることができる」
                   ◆
 終戦直後の1946年、現在の長崎市外海地区で生まれた。66年に県内の専門学校を卒業して臨床検査技師となり、都内の大学病院に勤めた。当時は芸術写真にさほど興味はなかった。ただ、大学病院には、資料作成のため暗室などの設備や機材がそろっていた。仕事で現像などの基本的な技術を身に付けた。
 76年、母が高齢になったことから帰郷し、現在の雲仙市で国立小浜病院(当時)に職を得た。東京では多忙な日々だったが、帰郷後は余暇が増えた。「何かやらなくては」と始めたのが、公募展の写真出品だった。
 まな娘の姿や県内の風景を撮影し、本名の浜辺耕二の名で中央の美術団体が運営する公募展「三軌展」(三軌会主催)、「国展」(国画会主催)に出品した。80年に両展とも初入選。86年に三軌会を退き国画会に一本化。88年の第63回国展で、殉教をテーマにした作品「踏絵」で初入賞。県内外で個展も重ね、アマチュア写真家として知られるようになった。
 2002年から大村市の国立病院長崎医療センター(当時)に勤務。美術団体では通常、受賞歴によって会友、準会員、会員と資格が上っていく。浜辺は1995年に国画会会友、2000年に準会員に推挙された。
 定年退職後の09年、持病の治療で頭の手術を受け、体調不良で写真を休止し国画会を退会。しかし回復後の12年、三軌会に復帰し浜辺耕作の名で出品を再開。同年の第64回三軌展で、爆心地公園(長崎市)に立つ旧浦上天主堂の遺壁と、長崎原爆投下時刻の11時2分で針を止めた時計を写した2枚組写真「ながさきの記憶」が新人賞を受賞した。14年に会員推挙され、現在は審査員を務めている。
                  ◆
 公募展に出品を始めて以来、モノクロ作品にこだわり続けてきた。初めは、公募展で中央の作家に対抗するための選択だった。
 デジタル写真全盛の今と違い、当時はフィルムで撮影し、現像して作品に仕上げていた。モノクロは暗室作業まで作家が手掛けるのが一般的なのに対し、カラー作品は専門業者が現像することが多かった。「東京の作家は自由自在にカラー作品を作れるが、長崎では限界があった。モノクロであれば自分で暗室の腕を磨ける」と考えた。
 出品を始めて程なく、教会やマリア像といった題材を選んだのも「モノクロに合うし、中央に長崎をアピールできるという思いがあった」。一方、カトリック信者の多い外海で生まれ育った幼少時の体験も、少なからず影響していた。』 =文中敬称略= (生活文化部・山口恭祐)

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