2020/3/11 今が“さだまさし”使いどき!

〇東日本大震災から今日で、9年目~さだ会長の“想い”
未曾有の大震災となった東北を中心とした東日本の“地震・津波・原子力発電所爆発”の発生から今日<2020年3月11日>は、9年目。折からのコロナウイルス発生・まん延で、各地での追悼式典は大幅に縮小・中止されましたが、地震発生時刻の午後2時46分には自治体などのサイレンに合わせて黙祷する人々の姿が見かけられました。
さだまさし会長を先頭にピーススフィア貝の火運動は震災発生直後から被災者の支援に乗り出し、さだ会長が被災地に直接出向いて激励したのを始め、11月にはチャリティコンサートで寄せられた義援金約2000万円を、原発事故で住民が避難している広野町など10町村に届けました。
2013年からは毎年、南相馬市の小中学生10人~20人を長崎県に招待し、原発の影響で海から締め出された子どもたちに五島列島の海で思いっきり遊び、また、原爆の被災から立ち直った長崎市で平和の大切さと町の復興への思いを強くしてもらおうと全国の会員・ボランティアと取り組んでいます。
今年3月8日、朝日新聞・全国版第31面の文化・文芸欄に「虚像『さだまさし』の使いどき」の見出しで、さだまさし会長へのインタビュー記事が掲載され、この9年間、被災者と共に歩んできた“想い”とこれからを語りました。

記事は文章が石川雅彦記者・写真は山本和生記者撮影によるものです。
この中で、さだまさし会長は、テレビ・ロケで被災地に入った時の感想を 『路地に車と船が折り重なり、臭いと、ほこりと、空気感と、人々の絶望感・・・・。「原子爆弾が落ちて数か月後の長崎の人も、こんな顔をしていたのかな」と思った』 と語っています。また、避難所で歌った時を思い出し、『関白失脚が思いのほか受けた。こどもは、笑いながら「がんばれがんばれ」と歌うし、しばらくすると、大人もつられて、泣きながら「がんばれがんばれ」とついてくる。「こんなに喜んでくれるんだ」。歌い終わり、わき上がる拍手を聞きながら、不思議な気分でいた。』、続いて今回の記事のポイントです。『歌手になってからずっと「平仮名の『さだまさし』は虚像」と思い続けてきた。なんで「さだまさし」になったのか。だれのためか。自分のためか。人のためか。お金のためか。その「さだまさし」が東北で歌うと、目の前の観客が体を震わせ、涙を流し、「死」を咀嚼(そしゃく)し、「生」への希望を取り戻す。「驚きました。そして、いまが『さだまさし』という虚像の使いどきじゃん、と思ったわけです」』、このあと、海外の医療関係者や被災地ボランティアを支援する「風に立つライオン基金」の発足などに触れた後、記事のまとめです。『夢は、もちろん災害が起きないことです。平和にみんなが暮らして、コンサートを楽しんでくれる。でも、災害が起きたら飛んでいきます。『さだまさし』の利用価値が続くかぎり』
<2020・3/8:朝日新聞抜粋>

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