2018/4/17 長崎・興福寺“お茶まつり”

〇 長崎・興福寺“文化祭~茶市”(2018・4/15)
新茶の季節です。春の嵐が去った4月15日(日)、長崎市寺町通りにある名刹、黄檗宗東明山興福寺(松尾法道住職)境内がふくよかな新茶の香りに包まれました。

 
<長崎市寺町4-32:東明山興福寺>

興福寺は江戸時代初期の1620年(元和6年)、中国・唐僧によって建立された唐寺です。当時の日本は禁教令がしかれ鎖国下にありましたが、長崎は海外に開かれた数少ない海港地で中国との交易があり、町には中国人が溢れこの興福寺を始め次々と菩提寺として多くの唐寺が建立されました。赤色の山門から長崎では「あかでら」とも呼んでいます。
「インゲン豆」でおなじみの中国・清時代の禅宗僧・隠元隆琦(いんげんりゅうき:1592-1673)が長崎に招請されたのは1654年。その説法、座禅修業は名僧の名を全国に広げ、徳川4代将軍家綱から賜った京都・宇治の土地に中国の故郷と同じ大伽藍「黄檗山萬福寺」を創建し、黄檗宗の宗祖となります。黄檗はミカン科の落葉樹で、殺菌作用に効果がある漢方・生薬「おうばく」として有名ですが、隠元師の故郷に多く自生しているところから山号の由来となったようです。 現在、この京都府宇治市「萬福寺」を本山に黄檗宗の末寺は全国に約500寺ほどが拡がっています。

 
<絵「隠元禅師」>            <唐伝来の食材>

今日長崎では、中国由来の風習が、代表的な秋祭り「くんち」奉納踊りから名物「ちゃんぽん」に代表される中華料理まで生活に深く浸透しています。特に、隠元禅師が持ち込んだいわゆる「黄檗文化」は書・印刻・絵画・建築まで多様ですが、食材(上写真)の、インゲン豆・なすび・タケノコ・もやし・落花生・レンコンなどと並び、ゴマ豆腐・胡麻和えなどの精進料理までも伝わっています。お馴染みのものばかりです。
そしてもう一つ忘れてならないのが、開祖ともいわれる「煎茶道」との関わりです。茶は遣唐使によって8~9世紀には日本に伝えられたと言われていますが、鎌倉時代には「抹茶」が寺院・武家に広まり、室町時代になると一挙に庶民にも普及し、江戸時代になると鉄釜で茶葉を炒って作る「煎茶」が隠元禅師らによって持ち込まれ、今日の「煎茶文化」が花開きます。

 
<講演「長崎史談会」原田会長>


<小笠原流煎茶長崎県本部の皆さん>   <「大雄寶殿」(国重要文化財)>

興福寺では、長崎県の茶どころ・東彼杵町とタイアップして毎年“日本に煎茶文化を伝えた隠元禅師を讃えよう”とお茶まつり「興福寺文化祭~茶市」を開催しており、今年11回目を迎えました。
『観て、学んで、味わって』をモットーに、「大雄寶殿」(国重要文化財)では松尾法道住職の読経に始まり、日本礼道小笠原流煎茶長崎県本部の「献茶式」、NPO法人「長崎史談会」会長で黄檗文化研究の第一人者・原田博二さんの講演会、参加者の先賢者・物故者供養が続きました。社務所などでは隠元禅師の紹介パネルや隠元禅師の画像(長崎市文化財)・揮毫(同市文化財)が特別展示されたほか、境内では、東彼杵町の渡邉悟町長ら町役場・そのぎ茶振興協議会・東彼杵手炒り釜炒り保存会の皆さんが、4月13日から始まった「一番茶の初摘み」で収穫したばかりの生茶を使って手もみや釜炒り実演、新茶の美味しい入れ方などを披露するとともに炒れたての茶を振る舞いました。
東彼杵町は2017年長崎県で開催された全国茶品評会「玉緑茶の部」で農林大臣賞・産地賞(共に日本一)を獲得しており、隠元禅師の「大雄寶殿」を前に渡邉町長らは「日本一の茶づくりで“そのぎ茶”を全国に発信したい」と誓いを新たにしていました。

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