2017/10/31 松添博追悼美術展

〇 「松添博さんを偲ぶ美術展」(2017・10/31~)

被爆画家・松添博さん(1930-2014)を偲んで、長崎市役所OB・現役の美術作品展が始まりました。開会式で出展者及び長崎原爆資料館の中村館長らが「長崎・平和の鐘」を鳴らし「献杯」で平和への想いを新たにしました。


〈松添博さん〉


展示会は『被爆画家・松添博さんを偲んで ~長崎市役所美術展』。企画したのは、長崎市役所OBで、長崎県市町村職員年金者連盟長崎支部長を務める川上正徳さん(75歳)。
長崎市役所の先輩で被爆者運動に献身された被爆画家・松添博さんが亡くなって今年3年になるところから、OB及び現役の美術作家に呼びかけて実現しました。
日本画・南画・油彩画・水彩画・色鉛筆画・書・写真・木彫など各分野から23人・23点が集まりました。松添さんの作品は松添家及び原爆資料館の支援で12点が展示されました。
 
<ナガサキピースミュージアム>          <展示会開会式(10月31日)>

松添博さんは1930(昭和5)年生まれで、2014(平成26)年・83歳で逝去されました。被爆時は、14歳・旧制瓊浦中学校の3年生で、茂里町の三菱製鋼所に動員されていました。
ご本人の証言では、当日朝から空襲警報が鳴り、作業を中断して道ノ尾駅に避難されました。そして近くの滑石の自宅へ向かわれ、午前11時2分、庭で被爆されました。爆心地から北へ約3.8キロ。
爆風で4,5メートルも飛ばされ、脇腹にやけどを負われましたが、幸い命に別条なく、やけども10日ほどで回復へ向かいました。その頃目撃された着物姿の少女2人の火葬風景が、のちに絵画作品「悲しき別れー荼毘」として発表され反響を呼びました。松添さんは戦後、長崎市の消防職員として活躍され、退職後は長崎平和推進協会・被爆継承部会に所属され「語り部」として、あるいは画家として原爆の脅威、悲惨さを訴え続けられました。晩年、声帯をなくしながらも若者たちに被爆の実相を語られた様子は多くの人々の心に深く焼き付いています。


<松添博「悲しき別れー荼毘」*長崎原爆資料館所蔵>

開会式では、長崎市長代理として長崎原爆資料館の中村明俊館長、長崎平和推進協会の高比良則安事務局長らに加え、松添博さんのご長男・康博さんにもご出席頂きました。
開会式のテープカットに代わって、「長崎・平和の鐘」が用意され、中村館長が打ち鳴らしました。

 
<中村館長の打鐘>           <長崎・平和の鐘>

松添康博さんには父・博さんの思い出などをお話頂き、平和推進協の高比良事務局長には、長崎市の特産・香酸柑橘「ゆうこう」を使ったサワーでの献杯の音頭を取って頂きました。

 
<松添康博さん>         <高比良平和推進協事務局長>

企画展 『被爆画家・松添博さんを偲んで ~長崎市役所美術展』は、11月26日までです。
尚、今日の開会式の模様は、KTNテレビ長崎が今日(31日)夕方6時からのニュースで、また、NHKテレビが明日(1日)午前6時45分、7時45分のニュース枠で放送される予定です。このほか、取材された新聞各社でも明日(1日)以降、掲載される見通しです。

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