2016/08/23安城平和祭

 『みんなの平和祭2016』(愛知県安城市:7・30-31)

愛知県安城市で毎年夏開かれている市民の平和への取り組み 『やろまいか!みんなの平和祭』に愛知ボランティアの皆さんが今年も積極的に参加し、事務局も、写真家・北川孝次さんの協力で、後援会や「笑顔」どの写真展を開催しました。

ミャンマー・22.7KB ナンビア・27.8KB ケニア・36.3KB

『やろまいか!みんなの平和祭2016』実行委員会の石川翼事務局長から報告が届きました。

『 「やろまいか!みんなの平和祭」は今年16回目を迎えました。7月30日(土)・31日(日)、いつものように安城市文化センターで開催しました。今年は、原爆パネルなどの展示、戦争体験者の語り部、戦場カメラマンの石川文洋さんの講演などを実施しました。

安城平和祭②「石川文洋」・94.9KB・ 安城平和祭③「沖縄・原爆」・93.9KB・

今年のメインは戦場カメラマンの石川文洋さんによる講演で、写真をスライドに映しながら話をされました。その中で、印象的な言葉を紹介いたします。
≪ジャーナリズムは反権力でなければならない≫
 権力者にとって戦争は「見せたくない」対象であることは想像に難くありません。文洋さん曰く、ベトナム戦争時は比較的自由に撮影や報道ができたそうです。そうした報道が、反戦意識の高揚に繋がったと分析されました。ただ、その反動から、戦争報道はその後、随分制約を受けることとなってしまったようです。
国などの権力から提供された情報のみを流し、許可された部分のみを撮影するのでは自ずと「キレイな所」しか伝えることはできません。権力が嫌がる部分を写してこそ意義があるという考えは大いに賛同できるものでした。
≪死体は慣れる≫
スライドに映し出される写真の中には、衝撃的なものも多々見受けられました。その一つに、兵士の写真がありました。この写真に写っているのは銃を持った兵士5人と、その足元に転がる4体の死体。兵士の顔には笑みが浮かんでいます。「死体と笑顔」という異様なコントラストは、何とも言い難い違和感を抱かされます。
この写真が映し出された際に、文洋さんが口にされた言葉は印象的でした。
「私は怖がりなので、交通事故で轢かれた人に目を向けたいと思わない。しかし、戦地では日常的に死体があり、慣れてはいけないのかもしれないが慣れてしまう。死体の横で弁当を食べることもできてしまう。」
とはいえ、報道という任務のために慣れる者と、死に至らしめること自体を任務とする者の間にはやはり一段あるように感じます。その一段の表れが、違和感に満ちた笑顔であったように感じます。
≪笑顔の写真展 今年も開催≫
 とかく、平和や戦争に関する催しは悲惨な描写が多く、関心がある人にとっても楽しみを求める対象ではありません。関心の高くない人にしてみれば尚更でしょう。
そうしたこともあり、平和祭では毎年ナガサキピースミュージアムさんにご協力いただき、世界の子どもたちの笑顔の写真を展示しています。原爆パネルや戦争遺留品を見た後、展示室の出口よりの部分に笑顔の写真を展示しました。凄惨なものを見た後、最後は晴れやかな気分でお帰り頂くためには、こうしたコンテンツが欠かせないものと毎年実感しています。また来年もよろしくお願いいたします。』

安城平和祭①「笑顔」・104KB・

046・はにかみ少女(チュニジア)22.7KB 001・み~んな集まれ(ケニア)40.1KB 003・清楚な服装で登校(イエメン)24.8KB

<北川孝次撮影「世界の笑顔」>

 

 

コメント投稿は締め切りました。