2016/7/29 長崎新聞・ 水や空

○長崎新聞コラムに“松尾あつゆき”掲載(2016・7・29)

160729・長崎「水や空・松尾あつゆき」・117KB・長崎新聞の第一面のコラム「水や空」です。今朝(2016・7/29付)のコラムで、ナガサキピースミュージアムが8月9日から開催する企画展『松尾あつゆきの日記』の松尾あつゆきさんにスポットを当てています。
松尾さんはいわゆる“原爆俳人”として著名で、原爆で妻と3人の子を亡くした悲しみを詠んだ『なにもかもなくした手に四まいの爆死証明』は、木版画家・小﨑侃さんの作品にもなり多くの人に感動を与えています。
コラムでは、長崎新聞が掲載する「私の被爆ノート」1000回の紹介を交え、被爆の原点、被爆体験継承の大切さを記しています。全文を掲載します。

『「原爆句集」を残した俳人、松尾あつゆきは8月9日のことを「覚書」に記している。<しずかに堆(うずたか)く倒れ重なっている材木。ああ、妻や子は此(こ)の下になっているのだろうか。 (中略) 名を呼んでみる。何のこたえもない。ああ。>(松尾あつゆき日記) ▲口からは出ず、胸に広がる「あゝ」ではなかったか。声にならない悲嘆はしかし、自由律の句となって残る。<こときれし子をそばに、木も家もなく明けてくる> <なにもかもなくした手に四まいの爆死証明> ▲きのこ雲の下でどれほどの数のうめき声が上がっただろう。焼け野原でどれほどの「あゝ」が広がったろう ▲叫び声、うめき声、嘆息にしかならなかったその時の記憶を聞き取り、書き残す仕事を記者が続けている。本紙「忘られぬあの日 私の被爆ノート」が開始から20年半の今月、千回を数えた。 ▲きのこ雲の下の人々は「一群」ではなく、人の数だけの被爆体験がある。その断面を重ね「原爆とは何か」に一歩ずつだが迫りたい。読む人が記録を記憶に刻み、継いでもらいたい。千回の厚みに込める思いも、厚みを増す。 ▲胸の内を言葉に凝縮するのが詩句ならば、記憶を神幅の限り“丸写し”するのが聞き書きの本分だろう。記憶の持ち主はずいぶん少なくなったが、書記の役目はまだ終わりはない。(徹)』

コメント投稿は締め切りました。