2020/7/18 さだまさし会長*新聞二題

〇 “笑える時が来ます”~さだまさし会長*新聞二題(2020・7/17)

新型コロナ感染拡大でコンサート中止・延期相次ぎ音楽活動が出来ないさだまさし会長ですが、既にお知らせしていますように“新型コロナ対策と真正面から取り組み”ながら、続発している活発な梅雨前線による西日本豪雨の被災者支援活動に全力投球!合間にはテレビ新聞の取材にも丁寧に対応しています。
最新の話題から、朝日新聞東京版と長崎新聞に掲載された(7月17日付)インタビューを紹介させて頂きます。

●長崎新聞は第12面・文化面「芸能ライナー」に掲載されています。全文紹介させて頂きます。

『     犠牲 繰り返さぬように
 広島、長崎に原爆が投下されて75年。長崎市出身の歌手さだまさしさんに、平和について歌い続ける理由を聞いた。
       ×      ×
 僕を一番かわいがってくれた叔母と叔父が長崎原爆の被爆者だった。長崎では爆心地にクリスチャンが多かったからか、相手を恨んだり憤ったりするよりも前に、「二度とこういうことを繰り返さないように」と祈る心が強かったのだろう。そこから「祈りの長崎」という言葉がうまれたのだと思う。
 1987年に「夏 長﨑から」というコンサートを始め、20年続けた。8月6日に 「広島原爆忌の晩、長崎で歌おう」と言うだけで何かが伝わる人がいると信じた。今は8月6日が広島、9日が長崎の原爆の日だと知る人もすっかり減ってしまった。
 被爆について音楽で語るのは難しい。その悲惨な経験を、これ以上繰り返さないでというメッセージを込めたのが「広島の空」という歌だった。しかし、原爆を歌うとすぐにイデオロギーを問われ、お前は右か左かという悲しい議論の中に巻き込まれてしまう。
 原爆の犠牲を繰り返してはならないというのは、当たり前の考えのはず。必ず批判者は現れるが、誰にもくみせず、自分が正しいと思う道理に従って歌っている。原爆も自然災害も、最初に奪われるのは必ず弱者の命だ。
僕らは必ず知らず知らずのうちに原爆のみを悪者にして、全ての戦争責任まで押し付けている。被爆75年の今年、世界情勢を見て見ると、原爆や武力だけを非難するのは現実的でない気がする。
世界に緊張感があふれ、あちこちで一触即発の状況が続いている中で、それを認めたくない国民と、恐れている国民とに分断されている。もしも音楽がその間をつなげられるならば「戦う前にできることがあるはずだ」という。世界に向けて 「長﨑らしい歌の表現」があるだろうと思った。
長﨑は被爆地として、世界に平和について発言する権利がある。踏み込むなら、世界に発信する責任と義務があると思う。折に触れ、僕は生命と平和を歌っていきたいと考えている。
その思いを聞いてくれる一人一人に手渡しながら、「二度とこういうことが起きないように何ができるか考えよう」と訴えたい。お母さんに届くような歌を歌いたい。お母さんに強い考えがあれば、子どもたちを戦場に送らないための努力をするだろうから。
平和はあっという間に奪われる。新型コロナウイルス感染や自然災害が今もわれわれに教えてくれている。今生きていることももっと大切にしようとずっと歌ってきたし、これからも歌っていくつもり。当たり前の娯楽として歌を聞いてもらう中で、命について、本当の幸せについて、考えてもらえる瞬間があれば願ってもない幸せだ。』

●朝日新聞は第21面・東京都心版「高校野球2020」に掲載されています。全文紹介させて頂きます。

『   甲子園なき夏 さだまさしさんがエール
いまこの瞬間の悔しさも やがて笑える時が来ます
 「甲子園なき夏」が始まった。第102回全国高校野球選手権大会の中止を受け、各地で独自大会が開かれている。しかし、その勝利の先に憧れ続けた甲子園は、ない。高校野球を愛するシンガー・ソングライターのさだまさしさんが、夢を奪われた球児たちにエールを送る。
     ◇
 1点差で迎えた九回裏、2死二、三塁。セカンドに高々とフライが上がった――。ボールをつかめば試合終了。落としたら逆転サヨナラ。まさに、試合が決まる最後の打球です。
 学校の応援、地元の期待、チームの誇り――。すべてが宿った、その白いボール。僕が二塁手だったら、捕れる自信がありません。しかし、勝ち進んでいった球児は平然と捕球します。この何でもないプレーのために、どれほどの修羅場をくぐってきたか。

甲子園の夢が、かなう、かなわないは別として、その存在は、全国の球児の心の支えです。
勝利の先の甲子園をめざして、どれほどの努力を重ねてきたか。
夏の甲子園の開会式を毎年必ず見てきました。全国から集まった選手たちは場内を1周し、外野に横一線に並ぶ。そして、一斉に前進してくる。あの姿に、毎年泣いてしまう。
 場内に流れる、日本の夏のテーマ曲ともいえる「栄冠は君に輝く」。内野まで選手が前進し、演奏が止まった瞬間、「お前たち、もう戦わなくていいんじゃないか」と思ってしまう。ここでジュースで乾杯して、別れようぜって。しかし、もちろん彼らは戦う。たった1校の「全国制覇」を目指して。
 各地で独自大会が開催されることになりましたが、彼らが夢みてきた夏の選手権大会は、失われました。
 かつて「甲子園」という歌を作りました(1983年発表のアルバム『風のおもかげ』に収録)。
夏の高校野球は全国制覇の1校を除き、全ての学校が敗れ去る。しかし、負けるのは1度だけ。そんな歌です。
でも、この夏の球児たちは、甲子園という夢を追いかけるチャンスすら与えられませんでした。
夢が、目の前から消えてしまった。僕らには想像できない喪失感、さみしさ、苦しさだと思います。

17、18歳の高校3年生にとって、幼い頃から追いかけてきた甲子園は、「人生のすべて」ではないでしょうか。そんな彼らに、いまこんなことを言っても、理解してもらえないかもしれません。でも――。
「あの時に甲子園がなくなったから、俺はいま、ここにいるんだ」。いつか、そう誇れる人生になることを祈っています。人生は本当に長いので、いまこの瞬間の悔しさも、やがて笑える時が来ます。必ず。
 去年2月、「存在理由~Raison d’être~」という歌を作りました。良い知らせばかりではないテレビのニュース速報に、《わたしは諦めない》《あなたを護(まも)るために わたしに何が出来るだろう》と歌詞に書きました。
歌を作ったとき、いまのコロナ禍を予知していたわけではありませんが、自分たちの夢と引き換えに社会を守ろうとしている今年の高校3年生に、この歌を届けたい。コロナ禍は起きてしまいましたが、この先の人生を諦めないでほしい。
今夏の大会の中止が決まる前、僕は「たとえ中止になっても、今年を飛ばして来年を『102回大会』と数えてほしくはない」と思っていました。
来年は「103回大会」になると聞きました。
 「甲子園なき夏」が、始まりました。しかし、今年の球児たちの、君たちの、第102回全国高等学校野球選手権大会と、その地方大会は確かに存在したのです。
 頂点をめざし、たった1度だけ負けるチャンスすら与えられませんでした。しかし――。
 君たちは、誰も負けなかったのです。
                                        (聞き手・抜井規泰)
     ◇
 さだ・まさし 長崎市出身。1973年、フォークデュオ「グレープ」でデビュー。76年からソロ活動を始め、「関白宣言」「北の国から」など数々のヒット曲を生む。通算4400回を超えるコンサート活動のかたわら、小説家としても活躍。多くの作品が映画化、ドラマ化されている。
今年5月、最新アルバム「存在理由~Raison d’être~」、7月1日には映像作品「コンサートツアー2019~新自分風土記~」(いずれもビクターエンタテインメント)を発表。

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