2018/6/22 被爆三世展

〇「被爆三世展」好評理に開幕!(2018・6/19)
「被爆三世 これからの私たちはproject」(代表・堂畝紘子さん<広島市在住>)主催の写真展『生きて、繋いで2018-被爆三世 これからの私たちは-』が、2018年6月19日(火)ナガサキピースミュージアムで開幕しました。同日、午前10時からミニ・オープニングセレモニーが開かれ、同プロジェクト・長崎担当の草野優介さんが「被爆者の体験を継承するきっかけになれば・・・」と企画展開催の目的を話しました。
続いて、長崎原爆遺族会の本田魂会長が爆心地近くの「駒場町」で被爆し、防空壕で助かった経験を語りました。
今回は、草野優介さんが被爆者・深堀好敏さんの映像(写真)保存活動を追った8年間の記録写真を始め、広島・長崎での二重被爆者として知られる故山口彊さん関連の写真、堂畝さんの7歳の長女が見つめた日常の生活風景などが約30点展示されており、初日から新聞・通信社・テレビ各社の取材で賑わいました。

*インターネット「産経WEB版・産経フォト」に初掲載(2018・6/20)


<産経WEB版>      <長崎原爆遺族会会長・本田魂さん>

『広島や長崎の原爆に遭った祖父母を持つ「被爆3世」の写真家らによる合同企画展「生きて、繋いで2018」が19日、長崎市のナガサキピースミュージアムで始まった。被爆者やその家族を撮った写真30点を紹介。出品者は「被爆体験の継承について考えてほしい」と訴えている。7月16日まで。展示するのは、長崎で昨夏行われた平和祈念式典で被爆者を代表して「平和への誓い」を読み上げた深堀好敏さん(89)を題材にした長崎市の草野優介さん(30)や、3世らの家族写真を撮る広島市の堂畝紘子さん(36)ら3人の作品。長崎原爆遺族会会長の本田魂さん(74)は、開始に当たり「原爆で地球が滅びることがないよう、2世、3世の人に頑張ってもらいたい」とあいさつした。企画展は堂畝さんが代表を務めるグループが主催し、入場無料。』

ナガサキピースミュージアムには、共同通信社長崎支局・山本勘介記者が取材でお見えになり配信されたようです。ピースミュージアム関連の情報がインターネットWEB版に掲載されることはあまりありませんが、2007年5月4日、中国の人民日報(日本語版)WEB版に「みどりのせんそうほうき」が掲載され話題を巻き起こしたことがあります。

*被爆4世が紙芝居で“被爆体験継承~2018・6/24(日)~
朝日新聞の西部本社版は、2018年6月21日付・第10版・31面(社会面)で、「被爆三世展」関連の情報を掲載しました。写真2葉付きで見出しが 「二重被爆 紙芝居 11歳ひ孫紙芝居上演」とあります。
「二重被爆」とは、広島・長崎両市での被爆体験者のことで、長崎市の元三菱重工マン・山口彊(1916-2010)さんのことです。小見出しで 「母の活動見て“世界に伝える”」とあります。長崎支局・田部愛記者の取材です。


<2018年6月21日付・朝日新聞>

『ひいおじいちゃんのことを思い出すと涙が出てきてしまう。「でも、みんなに知ってもらいたいから」。長崎市の小学6年、原田晋之介君(11)は、広島と長崎で二重被爆した曾祖父の山口彊(つとむ:1916~2010)の生涯を伝える紙芝居を始めた。3月に初めて披露。今月24日には市内で2度目の上演に挑む。
 「8月6日、広島。8月9日、長崎。上空のキノコ雲を見ながら、『まるで、追いかけられてるみたいだな』。私は誰に言うでもなく、つぶやきました。」
 3月10日、長崎市で開かれた平和団体のイベントで晋之介君は約20人の参加者を前に紙芝居を読み上げた。幼い頃から、母の小鈴さん(43)が紙芝居を使って原爆を伝える姿を見てきた。1945年8月6日、長崎の造船所で働いていた山口さんは出張先の広島で被爆。長崎に戻った翌日、再び原爆に遭った。 「体が痛む度、私を追いかけてきたキノコ雲が目に浮かびます。痛みは私の肉体、私の存在、私の記憶そのものです」  紙芝居が終わると、会場からは大きな拍手があがった。見に来ていた幼稚園の時の先生に褒められ、晋之介君は照れくさそうにはにかんだ。山口さんが亡くなったのは、晋之介君が3歳の時。紙飛行機を折ってもらい、一緒に飛ばしたことを覚えている。「原爆のことは少し聞いた。ひいおじいちゃんが寝込んでいた時にそばに行ったら、『原爆はぜったいにやっちゃだめ』って。晋之介君は今も、ひいおじいちゃんのことを思い出すと 「涙が出てくる」。だから、自分から友達に原爆の話をしたことはない。でも、「また紙芝居をして、世界中に人たちに、原爆に遭った人たちがこんなに苦しんでいるんだと伝えたい」と話す。小鈴さんが紙芝居を始めたのは祖父の山口さんが亡くなった翌年のこと。「原爆を経験していないから」と自分の言葉で語ることに自信が持てない中で、語り部をしていた母の山崎年子さん(70)から勧められ、山口さんの生涯を描いた紙芝居を使うことにした。被爆者の松添博さん(故人)と、末永浩さん(82)がつくってくれたものだ。夫婦共働きの小鈴さんは紙芝居をするときには晋之介君を連れて行った。でも、小鈴さんはこれまで、晋之介君に被爆継承の活動をするように言ったことはない。3月のイベントに出演したのは、主催者「ピースバトン・ナガサキ」の調(しらべ)仁美代表から、「晋ちゃんも読んでみない?」と小鈴さんが提案されたのがきっかけ。「どう?」と小鈴さんが尋ねると、晋之介君は「読むよ」。家では恥ずかしかったのか練習する姿は見せなかったが、学校では友達の前で 「50回練習した」という。子どもたちに紙芝居をしたり、原爆に関する思いを人前で伝えたりするなかで、被ばくの継承については今も「模索している状態」という小鈴さん。晋之介君の姿を見て、被爆者やその志を受け継ぐ人たちが、紙芝居を作り託してくれた意味に気がついたという。「自分が体験していなくても、紙芝居なら被爆者の経験を伝えられ、次の世代にもつなげられるんだ」  2回目の紙芝居は、24日午後1時半から長崎市松が枝町のナガサキピースミュージアムで上演される。7月8日にもある。8月6日には広島市でも披露する予定だ。』 (田部愛)

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