2018/9/21 長崎史談会で“軍馬”卓話

〇 長崎史談会で“軍馬”卓話(2018・9/20)
ナガサキピーススフィア貝の火運動「ナガサキピースミュージアム」の広報の一環として取り組んでいる講演・卓話の一つ、“軍馬”が長崎史談会の9月例会で取り上げられました。
長崎史談会は長崎学の創始者・古賀十二郎さん(1859-1954)らが1913(大正13)年に作った“長崎市を中心とした史的な研究団体”「長崎史談会」が起源で、その研究成果を記録した『長崎談叢』が出版された1928(昭和3)年から広く認知され今日まで続いており、2005(平成17)年にNPO(特定非営利活動法人)に認定されました。主として長崎における豊かで国際的な歴史や文化(長崎学)などの調査、研究を行い、その成果を公開するとともに後世に伝承し、長崎の学術・文化・芸術等の振興・発展に寄与しようというものです。
黄檗文化の研究家で長崎市立博物館館長や長崎歴史文化博物館研究所所長などを歴任した原田博二さんを会長に、県内の歴史研究家・愛好家300人ほどが参加、貝の火運動の正会員で著名な宮川雅一さんが名誉会長を務めておられます。日常的には毎月例会での研究発表や広く長崎県内を中心に講演会・史跡巡り(フィールドワーク)・古文書講座・各地歴史文化団体との交流などと取り組んでいます。


<9月例会「出島交流会館」>         <増川専務理事>

貝の火運動は2016年から会員として増川雅一専務理事が参加し交流を続けており、今回初めて例会での卓話となりました。テーマは 『千馬町幻想~戦場に征った馬たち』。これまで、東京・つくば・白河などでも行っていて、展示会も北海道など各地で開催しています。
「千馬町」(せんばちょう)は、明治時代後期に生まれた長崎港の埋め立て地。日露戦争が始まり、兵士と軍馬がこの地から中国大陸へ船で向かいました。有名な「出島」の周辺が埋め立てられた時期で、各地から多くの軍馬が集められた場所であるとことから「千馬町」の名が生まれました。


<卓話「千馬町幻想~戦場に征った馬たち」>

卓話では、全国に拡がる1000基余りの軍馬慰霊碑から「馬頭観音」「追悼」「顕彰」「記・紀念」等を目的とした特徴的な慰霊碑の写真150葉を中心に戦場での軍馬の活動を記録した写真のコピーや資料を豊富に使って、“軍馬”とは何であったのかをビジュアルな映像にまとめて紹介し報告しました。
卓話の後半では、さだまさし会長の作品で映画「二百三高地」の主題歌として話題を呼んだ“反戦歌・・・「防人の歌」にのせて「戦場での軍馬の様子」「故郷での農耕などの様子」「慰霊碑」をたっぷり7分間紹介しました。
『おしえて下さい。・・・海は死にますか、山は死にますか・・・私の大切な故郷もみんな逝ってしまいますか。』


 

会場では目頭を押さえる方もおられたようで、終了後には、「(今回の戦争で)軍馬は一頭も帰還しなかったんですか?」との質問も飛び出しました。
増川専務理事は最後に、軍馬改良政策のため全滅したと言われる日本の在来馬について触れ、名馬「南部馬」の血を引く馬「寒立馬」が青森県下北半島尻屋崎に多数放牧されていることや、最近、長崎県対馬の「対州馬」に若駒が誕生し40頭に増えたことなどで、現在、日本古来の“在来馬”が1708頭(2018年3月末現在)に達していることを紹介し、『馬たちが二度と戦場に征くことがないように平和を大切にしたい』と締めくくりました。

『千馬町幻想~戦場に征った馬たち』は、出張講演や卓話、平和教育などに対応しています。
詳細は、ナガサキピースミュージアム(電話:095-818-4247*E-mail  museum@nagasakips.com )へお問い合わせ下さい。

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