2018/4/21 小川さんの写真展大反響!

〇写真展「チェルノブイリの証言」大反響!~ヒバクシャ・小川忠義さんの報告(22日終了)

佐世保市博物館島瀬美術センターで4月18日(水)から開催中の小川さんの写真展『チェルノブイリの証言~原発事故現場は、今・・・』が大きな反響を呼んでいます。チェルノブイリ原発事故は1986年4月26日発生で、32年前の出来事です。小川さんが現地を訪れたのが2012年で、既に6年が経っていますが、悲惨な現地の映像は生々しく、原発に囲まれて生活を余儀なくされる人々に“原発再考”を訴えているようです。


<佐世保市「島瀬美術センター」中2階ギャラリー>

 
<ゴーストタウンをモチーフとしたポスター>  <NHK-NEWSの小川さん(18日放送)>

2012年、小川さんが、ピースボートが企画した「おりづるプロジェクト」の「ヒバクシャ地球一周・証言の航海」に参加し現地を訪れたのは極寒の4月2日でした。旧ソ連、ウクライナの首都キエフから北へ約130km。厳しいパスポートのチェックや行動は当局の指示に従い勝手に動き回らないこと、撮影は許可した場所のみなど書類にサインを求められる“不自由な”状況下での見学でした。驚いたのは残存放射能で、エリア内での被ばく線量の上限は3マイクロシーベルトと説明されましたが、草地や樹木そばなどではこれを上回ること度々で手にしていた線量計の針は振り切れっぱなしでした。当時、原発から3kmのプリピャチ市に原発で働く労働者や科学者のために作られた近代的な街並みはゴーストタウンとなり、土砂で覆いつくされたコパチ村の一部からは壊れた人形や玩具類が覗かれ幼稚園があったことを教えていました。かっての「ソビエト通り」そばの公園には、広島・長崎の名を冠した公園があり「おりづるのモニュメント」も設置されていましたが、衝撃的だったのは、その傍に設けられた30km圏の地図をモチーフにした地図で、ローソク台があり、地図に続く小道両脇には標識が立ち並んでいました。それは、原発事故によって廃村に追い込まれた「村の数」で、数えると「72」ありました。のちの発表で、移住を余儀なくされたのは総計約30万人に上ると言われています。

 
<廃村標識(プリピャチ市公園)>    <廃村プレート(チェルノブイリ博物館)>

チュエルノブイリ事故から25年、2011年東日本大震災で福島原発の事故が発生しました。当時日本の原発は50数基ありましたが、故障や点検で停止中を含め2013年9月には全ての原発が停止しました。そして、2015年8月再稼働が始まり、2018年3月には九州電力・玄海原発が7年3か月ぶりに再稼働しました。
ところが、配管から蒸気が漏れるというトラブルがあり即停止。九電は4月18日、原因が特定され再発防止が出来たとして再々稼働させ発電・送電を開始しました。玄海原発は行政的には佐賀県玄海町にありますが、チェルノブイリ事故で72村が廃村となリ無人となった原発から30キロ圏内を見てみますと、3県(福岡・佐賀・長崎)8市町・26万8000人余りが住んでおり、松浦・壱岐・平戸各市同様佐世保市も一部が含まれています。
小川さんの写真展初日は、玄海原発が再々稼働を始めたその日で、マスコミ各社の反応にも鋭いものがあったようです。初日のNHK-NEWS(既載済)ほか、西日本新聞、長崎新聞も大きく掲載しました。

西日本新聞は4月19日(木)付・長崎県版22面「平和をナガサキ」欄に7葉の写真を使って特集しています。
 『旧ソ連ウクライナのチェルノブイリ原発事故の現場を、長崎市の被爆者小川忠義さん(74)が26年後の2012年に訪れた際の実情を100枚の写真を通じて伝える「チェルノブイリの証言」が佐世保市島瀬町の島瀬美術センターで開かれている。国内では東京電力福島第一原発事故を受けた新規制基準の施行後、各地で原発の再稼働が進む。小川さんは「事故を人ごと思わずに見てほしい」と呼びかける。22日まで。
小川さんは12年1~5月の「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」(NGOピースボート主催)のメンバーとして、チェルノブイリの事故現場を訪問する機会を得た。被爆当時1歳だった小川さんは、他の被爆者の証言を聞き、継承していきたいとの思いで参加。長崎と広島の被爆者10人が21ヵ国を訪れ、13ヵ国で被爆体験の証言をした。
 チェルノブイリの事故が起きたのは1986年4月26日で、今月で事故後32年を迎える。佐世保市は、市内の一部が3月に約7年3か月ぶりに3号機が再稼働した九州電力玄海原発(佐賀県玄海町)から30キロ圏内に入るため、初めて撮りためた写真を公開する場所に選んだ。
 チェルノブイリ原発から30キロ圏内では、住民全員が避難した村の荒れ果てた幼稚園などを回った。事故現場で消火活動にあたり、2週間後に全員が死亡した28人の消防士の像もあった。
 かつて原発職員など5万人が住んでいた町プリピャチでは、道路のコケの上で9.999マイクロシーベルトまで測れる線量計が振り切れた。町は植物が伸び放題で廃虚と化していた。犬かオオカミかわからない動物が生息しているとも聞いた。
「26年も人が住まないと植物が成長し、あんなに廃虚になるんだ」と驚いた。
 ウクライナ国境に近く、放射線被害を受けたベラルーシのゴメリ市では、被ばくした市民と交流した。市民からは小川さんたち被爆者に「放射線に対する効果的な治療方法は」「何をモチベーションに生きてきたか」「何を食べ、飲んできたか」など生活に直結する質問が飛んだ。その真剣な表情からは「被ばく者が不安を抱えていることが迫ってきた」。
 訪問は、福島原発の事故から1年後だった。小川さんは「福島もこうなってしまうのか」と衝撃を受けたという。核の被害を受けた者同士、チェルノブイリで見たこと、聞いたことを伝える責任を感じた。
 小川さんは「事故を起こした原発の修復は膨大な時間と金と人の犠牲がないとできない。写真を通して、事故が起きたらこうなるんだということを伝えたい」と話した。 (後藤希) 』

長崎新聞は、同4月19日(木)付・ローカル「佐世保近郊」欄に掲載しています。

 『長崎で入市被爆したアマチュアカメラマンの小川忠義さん(74)=長崎市江平1丁目=が旧ソ連のチェルノブイリ原発事故現場周辺で撮影した写真の展示会が18日、佐世保市島瀬町の島瀬美術センターで始まった。原発付近で廃虚と化した町の光景などを紹介。小川さんは「事故のリスクを忘れないで、という思いを込めている」と話している。22日まで。入場無料。
小川さんは原爆被害の風化を懸念し、毎年長崎の原爆投下時刻の風景を撮影する活動を続けている。2012年に世界各地で被爆体験を語る非政府組織(NGO)ピースボートの「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」に参加。その際にチェルノブイリに立ち寄り、原発施設などをカメラに収めた。
 九州電力玄海原発の再稼働が決まったことを受け、一部が原発から30キロ圏内に入る佐世保市で事故のリスクを知ってもらおうと写真展を企画。原発事故から20年以上たっても高い数値を示す線量計のほか、荒廃した遊園地、幼稚園近くで捨てられたままの人形、現地の人々の様子など100枚を飾っている。
 小川さんは「チェルノブイリで見た景色、現地で聞いた事故当時の話は想像以上で衝撃を受けた。同じ核の被害者として現状を伝えたい」と話している。(田下寛明) 』

チェルノブイリ原発事故は、国際原子力事象評価尺度(INES)では福島原発事故同様最悪の「レベル7」(深刻な事故)で史上最悪と言われており、広島・長崎原爆の400倍以上の放射性物質が大気に放出されたとも言われています。事故から32年、現場はコンクリート製の石棺で覆われていましたが、汚染への対処、燃料取り出し、研究など後処理は殆ど進まず放射能が漏れだす恐れもあり、2016年11月、再度世界各国からの支援で2000億円が投入され石棺ごと覆い隠す鉄のシェルターが作られ設置されています。日本では福島原発事故の後処理も先が見えません。
2000年4月、当時の国連事務総長、コフィ・アナンさんが世界に発した警告です。
 『私たちは皆チェルノブイリと言う言葉を記憶から消したいと思っています。それは人々の頭の中にある、見えない脅威と名もない不安のパンドラの箱を開けたのです。しかし、この悲劇を忘れてはならない説得力のある理由があります。第一に、もし私たちがチェルノブイリを忘れたならば、このような技術的、環境的な災害が将来起こりうるリスクを高めてしまいます。』

小川さんの写真展は4月22日(日)までです。会場の佐世保市博物館島瀬美術センターは、佐世保市島瀬町6番22号*電話:0956-22-7213 です。
開館は10:00-18:00(入館は17:30まで)、入館は無料です。是非、お出かけ下さい。

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