〇名曲「償い」&「風に立つライオン」・・・新たな展開!
さだまさし会長の名曲「償い」と「風に立つライオン」が新たな展開です。
「償い」は、2002年東京地裁の判決公判で取り上げられ、裁判長が被告の少年に『君たちは「償い」という歌を知っていますか』と語り掛け大きな話題を巻き起こしました。
今回は、この「償い」が、警視庁の交通事故防止対策に活用され、ナントこれまで、交通違反のドライバー29万人に聴かせたというのです。2016年12月2日付けの東京新聞・中日新聞が大きく掲載しています。
<2016・12/2付け「東京新聞」(左)・「中日新聞」(右)>
「東京新聞」は第一面・題字横『交通事故減 願う「償い」』と第二面『運転手の心揺さぶった』、「中日新聞」は社会面『「償い」聴いて事故防止』とそれぞれ見出しは異なっていますが、内容は基本部分は同じものです。
『交通違反をしたドライバーなどが対象の講習で、警視庁は、交通死亡事故の遺族と加害者の実話を基に、歌手のさだまさしさんが作詞、作曲した「償(つぐな)い」という歌を聴かせている。今年6月に始めた取り組みで、受講後のアンケートに応じた約4600人の9割近くが「良かった」と答えた。さださんは「人間の痛み、事故の悲惨さを一人でも多く感じてもらえれば」と話し、忘年会などの酒席が増える師走の安全運転を願う。 (谷岡聖史)
1982年のアルバムに収録された「償い」は、交通事故で夫を亡くした、さださんの知人女性の体験が基になっている。「話を聞いたとき、これを本当の反省というのだ、と感動した」。さださんは本紙の電話取材に、こう振り返った。
歌詞は、過去に男性を交通事故で死なせてしまった「ゆうちゃん」の同僚の視点で描かれている。ゆうちゃんは、給料の中から遺族に送金を続けていた。7年目のある日、男性の妻から初めて返事が届いた。ゆうちゃんは思う。「償いきれるはずもないあの人から 返事が来たのがありがたくてありがたくて」
さださんは「許した側に立って詞を作れば傲慢(ごうまん)になり、許された側にすれば何も言えなくなってしまう」と悩み、歌詞ができるまでに数年かかったという。
講習で「償い」を聴いた人は年末までに29万人になる見込み。受講後のアンケートで「事故の悲惨さを再認識した」(30代男性)、「涙が出た。二度と違反や事故をしないと心から思った」(70代男性)、「言葉より感情に訴えるものがあった」(60代女性)などの声が寄せられた。
警視庁は、免許取り消しや停止などの処分を受けたドライバーの講習と、初めて免許を更新する人や軽微な違反一回の人らの免許更新の講習で、さだまさしさんの「償い」を流している。夜の交差点や手紙などのイメージ写真を歌詞に添えた約6分間の映像を作り、視覚にも訴える。
「交通事故は被害者だけでなく加害者や家族ら、多くの人を不幸にすることを知ってほしい」と、警視庁の大木英敏・運転免許本部長。さださんのファンで「どうすればドライバーの心に響く講習になるか」を考え、曲を流すことを思い付いた。日本音楽著作権協会(JASRAC)などとの取り決めで年内で終わる予定だが、大木さんは「反響が良いので、今後も検討したい」と話している。「償い」は千葉、徳島両県警の交通違反者講習でも流されたことがある。法廷で取り上げられたことも。傷害致死罪に問われた少年2人に2002年、東京地裁で判決が言い渡された後、裁判長が「君たちは『償い』という歌を知っているか」と説諭した。
警察庁によると、今年1~11月、全国の交通事故死者数は3484人。前年同期に比べて190人少ない。』
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東京新聞・電話:0120-026-999
中日新聞・電話:0120-454-010
「風に立つライオン」は、長崎大学医学部が3年に1度開催する文化祭(医学展*第21回)の主要なテーマとなり、アフリカ医療支等支援50年記念イベントとして「フォーラム」と「講演会」で大きく取り上げました。
(2016・11/15 「長崎大学医学部医学展 講演会」)
●『風に立つライオン』講演会*2016・11/15:長崎ブリックホール
第1部「風に立つライオン誕生秘話」では、さだまさし会長が“歌に込めた想い”を語るとともに楽曲を歌い上げました。第2部では、「3人の視点からみる風に立つライオン」のタイトルでさだ会長を中心に、ライオンのモデル、柴田紘一郎医師とスーダンで活躍している川原尚行医師の3人がアフリカ医療への熱情などを語り合いました。その模様が、11月18日付けの朝日新聞長崎版に大きく掲載されました。岡田将平記者の取材です。抜粋して紹介します。
『さださんが曲を作るきっかけとなったのは20歳の頃。父親らを通して出会ったのが、柴田さんだった。柴田さんは1971~73年に長崎大の医療支援でケニアに派遣され、戻ってきていた。「わくわくして、アフリカってすごいな。行ってみたい、とおもった」
曲を発表したのは1987年、35歳になってからだ。「15年かかったんですよ。アフリカが僕の心になかったんですね。15年かけて想像したアフリカをよーやく歌にできたんです」
*診療所に集まる人々は病気だけれど 少なくとも心は僕より健康なのですよ
曲を聴いた柴田さんは、「心っていうものがものすごく響いた」と語る。だが、曲は当初はヒットしなかったという。当初はバブル経済期。さださんは「だれも見向きもしなかった。景気が良いときはさだまさしは要らないんです」。
歌にはこんなフレーズもある。
*こんな処にもサンタクロースはやって来ます 去年は僕でした
柴田さんは、自身が体験したことが歌われているが、「まさしくんには言っていない」と疑問に思った。実際はさださんが想像で書いた歌詞だった。「本当にやったんですよね。勝手につくった主人公が現実のモデルの先生と一致しているのが不思議だった」とさださん。
曲は海外で働く人を中心に、じわじわと浸透していった。青年海外協力隊のテーマソングとも言われるようになった。
「『風に立つライオン』を聴いて医者になったって人がね、いっぱいいてね。そういう人が海外に行くの。そうすると過酷なの。落ち込んだ時に、『風に立つライオン』を聴いて鼓舞して、無理やり頑張っているんです。あの歌さえ聴かなければ、こんなに苦しい思いをしなくても良かったのに、という人がいっぱいいます」
さださんいわくそんな「被害者」の一人が川原さん。川原さんは現在、スーダンで医療支援の活動をしており、この日は、学校建設や井戸の整備などにより、地域が自立していった経験を語った。
さださんは昨年公開された映画を機に初めてアフリカを訪れた。「びっくりしたのは、15年かけて書いた歌の中のアフリカと寸分も差がなかったんです。ただ、息の長い風が吹いていてこれが地球の息吹かと思ってね、この風は想像しなかったな、この風こそがサバンナの命なんだな、と思った瞬間に、これは神様からちょうだいした歌だなと確信したんです」
長崎大では、柴田さん以降もアフリカでの取り組みが綿々と続き、医療以外の分野にも研究の幅を広げている。さださんは「長崎大医学部の人たちの心のどこかに、俺たちの大学から生まれたという誇りみたいなものを感じてくれている人がいる。それは逆に誇り、お医者さんの志で、迷い苦しんでいる患者がひとりでもふたりでも救われれば、作ったかいがあります」と語り、「ますます『被害者』が増えることを祈りながら」と歌声を響かせた。』
※朝日新聞の購入は、電話:095-822-1518 朝日新聞サービスアンカーASA長崎販売本店へ!
●『長崎大“アフリカ支援50年”』フォーラム*2016・11/12:長崎大医学部記念講堂
「風に立つライオン」誕生のきっかけをつくったのは、NBC長崎放送が制作したTVドキュメンタリー『ダクタニ・ジャパニ』(*スワヒリ語で「日本からやって来たお医者さん」の意)。同作品は1971年、長崎大学の医療支援活動の模様をアフリカ・ケニアの現地取材で制作されました。詳細は前項をお読み下さい。
フォーラムは、長崎大学が1966年から取り組んでいるアフリカでの医療支援活動及び研究などへの理解を大学内外に広めようと企画されました。正式には「長崎大学のアフリカでの50年、これからの貢献」。大学サイドの経過報告や今後の展望などが中心でしたが、改めて脚光を浴びたのが『ダクタニ・ジャパニ』の上映及び
制作背景の紹介、そして、当時現地で医療活動に当たり、作品にも登場しているお医者さんと看護婦さん3人の思い出話でした。
その模様が、11月13日の長崎新聞に田賀農鎌龍記者の取材で掲載されています。
(2016・11/13付け・長崎新聞)
☆ナガサキピースミュージアムは、2017年新春企画展として「長崎大学アフリカ支援50年」(仮題)を1月2日~29日開催します。