2014/4/17 長崎新聞掲載「名作の舞台⑥さだまさし“佐世保”」

140417・長崎「名作の舞台⑥さだまさし”佐世保”」555KB✤さだ会長のソロ25作目アルバム「季節の栖(ときのすみか)」に収録された“佐世保”。 さだ会長から依頼を受け、「ル・クプル」で活躍した藤田恵美さんが佐世保にまつわる両親の物語を歌詞にしました。

『長崎市出身のシンガー・ソングライターさだまさし(61)は、「精霊流し」「長崎小夜曲」など長崎をモチーフにした作品を数多く生み出した。ただ「佐世保」の作詞は、「ひだまりの詩」がヒットした夫婦デュオ「ル・クプル」で活躍した藤田恵美(50)=東京在住=が手掛けた。
さだから歌詞制作の依頼を受け、テーマを決める際に頭に浮かんだのは佐世保にまつわる両親の物語。父が30代、母が20代の頃、2人は駆け落ち同然で佐世保を離れ、上京した。そのことは後に知人から聞いたが、理由は「言えない」。
両親は既に他界。東京で生まれ育った藤田は、母から佐世保の話を一度も聞いたことがなかった。一方、離婚後に藤田を引き取った父は古里の思い出を時々話してくれた。内容ははっきり覚えていないが、楽しそうに笑って話す父の姿は今でも目に浮かぶ。
子どもの頃、父に連れられ佐世保に遊びに来たこともあったという。<坂道多く/海はすぐそば/異国のひと/すれ違うところ>。街の印象を歌詞でこう表現している。
両親が上京したのは1960年ごろ。ちょうどそのころ、小野寿幸(73)も大学進学で上京した。小野は現在、在京の佐世保市出身者でつくる東京佐世保会会長を務める。急行列車「西海」に仲間と乗り込み、「親元を離れる不安をたわいもない話で紛らわせた」と振り返る。
同会が年に1度開く懇親会には、60~70代を中心に約300人が集まり、古里の話に花を咲かせる。小野は「九十九島の美しさや中心部のにぎわいはいつまでも話題の種。遠く離れていても、故郷は大切」としみじみ話す。
本当は寂しかったのかもしれない。「両親の気持ちは今ではもう分からない」と藤田。「だけど佐世保は2人にとって、そして私にとっても、大切な場所」。その気持ちは歌詞にこうつづられている。<暮らせないけど/私の町がもうひとつあると/嬉しく思うのです>』

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