|
|
|
 |
|
|
 |
 |
|
 |
|
|
テレビや新聞報道が始まった5月13日から、ナガサキピースミュージアムには福岡、北九州、大分や地元長崎県各地から「平和地蔵作りに参加する方法は?」「自分で作った地蔵があるが展示して貰えるか」など問い合わせや「自分が住んでいるところに地蔵寺がある」など地蔵に関する情報が多数寄せられています。
その中から、大分市のK・Kさんから届いた「お地蔵様」現物とお便りを紹介します。
『もう何十年昔の話しでしょうか? ランドセルを背負い、一本足の鳥居を抜けて小学校に通い、文化会館の秘密の抜け穴から展示室に潜り込み、原爆を観、まだまだガレキ散らばり、真新しい浦上の天主堂の下で原爆を感じながら学校へ通ったものでした。回りにはまだまだ原爆の匂いと色と残されていた時代です。(中略)もう三十数年が過ぎ四十年になろうかとしています。今でも夾竹桃が咲く頃になると長崎の平和公園の暑い夏を思い出し、秋の風が吹きはじめると「おくんち」で気もそぞろとなります。そして今、私はうつ病と云う病名をもらい、人に逢うのも、話すのもおっくうになり、気力、体力ともに萎えています。そんな折、友人の陶芸家が粘土を分けてくれて、何とはなしに土をこね、型になったのがお地蔵さんでした。決して奇をてらうでなく、本当に自然になるがまま、なすがままの制作でした。同じ病名の人や、悩める友人等に、出産のお祝いの中に「同行二人」の守りとして貰っていただいております。今朝、新聞をみて早速にも、押し付けで、無理を承知に、不躾に、私も、私の、お地蔵さんを送り付けます。非礼は重々お詫び申し上げます。育ち遊んだ故郷の被爆の苦悩が身に凍みます。幾人かの友人も、体内被曝で不安を抱えているのです。喉が乾き、あの浦上川には今だに喉を潤しに幾人もの人々が帰って来ます。今年も間もなくあの暑い暑い夏が来ます。どうかどうか私のお地蔵さんも一緒に仲間に入れてください。合掌。』 |
●熊本市のT子・Sさんからは布製のお地蔵さんが送られてきました。
−平和を願う、一地球人として三十万分の一の力しかございませんが、
手作りのつたないお地蔵さんをお送りいたします。(H16年5月17日)
●北九州市のT子・Yさんからは陶器のお地蔵さんが送られてきました。
−世界の平和と皆さまの幸せを優しく見守って下さることを願って協力させて
頂きます。(H16年6月8日)
●宮崎県高鍋町の大学生M・Iさんからは絵に描いたお地蔵さんが送られてきました。
−阪神淡路大震災犠牲者追悼として7000体のお地蔵さんを描いています。
平和のためにお手伝いをしたいと思います。(H16年6月15日) |
|
|
|
|
 |
 |
|
(2004.6.15更新) |
|