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長崎に原爆が投下された『1945(昭和20)年8月9日午前11時2分』を記憶に留め忘れないようにしよう!・・・長崎市のアマチュアカメラマンの想いが写真展となりました。 企画したのは若杉鏡心さん(1947年生・長崎県東彼杵町出身)で、今年3回目。被爆にこだわらず、「午前11時2分」にカメラのシャッターを切ろうと言うもので、撮影者の日常の生活ぶりが一枚の写真として切り取られています。 友人・知人を通じて呼びかけ、2009年・40点、2010年・70点、今年も同規模の作品が集まりました。

今回初めて、「午前11時2分に鐘を撞こう!」と“平和の鐘・一振り運動”を提唱している鶴文乃さん(つくば市在住童話作家)に協賛し活動しているボランティア「ピーススフィア関東」らも活動の模様を撮影し出品しています。
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 <O・K(東京)>
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| 『長崎原爆忌。今年も護国寺(東京)に行ってまいりました。10時40分、境内にはすでに数名の人たちが集まって和やかに話をしていました。時間となり全員が鐘つき堂にあがりました。般若心教を唱え、11時2分に最初の一振りをし、みんなで祈りました。そして全員がひとりづつ鐘をつきました。カメラに収めました。そのあとこの「平和の鐘・一振り運動」の提唱者である鶴さんから運動を拡げる苦労や海外でのPRなどの話を聞かせていただきました。被爆者でもある鶴さんの情熱が伝わってきました。こつこつと平和を願って行動することの大切さをあらためて痛感しました。』(O・K) |
 <M・E(神奈川)> |
| 『素人の写真ですが、参加したくお送りします。横浜市鶴見区、曹洞宗大本山総持寺大梵鐘の鐘の音に平和を祈っています。』(M・E) |
 <H・M(大阪)> |
| 『8月9日、京都府の精華町にてピーススフィアの関西在中ボランティアを中心に「平和の集い」を開催しました。11時2分にシャッターを切り、それを開会の合図にしました。平和であることをかみしめながらフルートの演奏を聴いたり、みんなで歌を唄ったり、カレーを食べたり和やかな会になりました。』(H・M) |
 <H・J(宮城)> |
| 『平成二十三年八月九日の仙台は気温三十度を超す暑い日でした。長崎の空も雨が上がり暑い夏空になっていたようですね。午前十一時二分にシャッターを切った私の写真です。テレビで「長崎の平和祈念式典」を見ていました。テレビの下にあります本は、永井隆博士の「この子を残して」です。約五十年前の中学三年の時に、私は読書感想文コンクールに出すための本を学校の図書室から選びました。「長崎の鐘はほほえむ」という本でした。“ほほえむ”ということばが入っていたように記憶しております。十二年前に長崎を訪れた時「如己堂」を拝見し、とてもとても辛く胸が痛みました。現在、「ピーススフィア貝の火運動」に参加できたことの意味は、五十年前の出来事から始まっているように思え感慨無量です。会長さださんの言葉「絶対に平和をあきらめません」を胸に、未来ある子どもたちのために少しでも協力していけたらと思っております。』(H・J) |
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 〈会場・奈良市高の原〉
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 〈ピースブース〉
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 〈「温暖化ぼうし」〉
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『11月23日(水曜・祝日)、「風人(かじぴとぅ)の祭」<奈良市高の原「カトリック野外礼拝センター」に初めて参加しました。> 「風人(かじぴとぅ)」とは、自然とともにに生きる人、地球を愛し、思いやりを持って生きる人のことを言うそうです。 私たちは、“みどりのせんそうほうき”と“温暖化ぼうし”の材料をしっかり準備し、メンバーとの語らいのひとときでもある時を過ごしていると、4名の小学生の女の子が来られ、一緒に“温暖化ぼうし”を作りを楽しみました。それぞれに作り終えると嬉しそうな笑顔を残していってくれました。 あいにく昼過ぎから雨となり、ボランティアメンバーの集合場所である「ピースサロン」に場所を移してミーティングとなり、平和への関わりやそれぞれの想い、意見、感想を出し合い、これからの糧になる良い時を過ごすことができました。』 |
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<関西ボランティア“Dream”/I・T記>
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