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旧浦上天主堂の記憶~来館者感想・メッセージ
後世にこのひげきを伝えるには浦上天主堂が何故保存できなかったのか、かえすがえすも残念である。二度と戦争をしない為にも。(09.7.15/K.E )

長崎に初めて移り住んだのは、小学2年生の時でした。父は私たちをいろんなところへ連れて行ってくれました。この浦上天主堂にもです。
昨日のことのようによく覚えています。今日、この写真を拝見してしみじみと思うことがたくさんあります。一言では云えません。
写真はやはりすばらしいと本当に思います。貴重な記録ですね。
たとえ時が過ぎてしまっても、歴史の事実の瞬間がしっかりと静かにそれを見る人にいろいろな事柄を語りかけ、考えさせてくれるのですね。
今日、このピースミュージアムに来ることが出来、ありがとうございました。
又来れますように。(09.7.15.4:23PM/K.U)

来館者は年配の方もいらっしゃるのに、説明文が小さくて読みにくいのじゃないかな?
広島ではドームが保存されて、長崎では何故遺構たる天主堂が取り壊されたか知りたい。(09.7.16)
※ご指摘をいただき、説明文は大きな字のものに変更いたしました。
折角いい写真展を企画して下さったのに、説明文字が小さくて読みづらかったのが残念です。
今の若者たちが原爆の恐ろしさを世界に向けて署名運動などで廃絶を訴えてるので、このような展示をして下さった皆様へカンシャしています。Thank you!(09.7.16)

長崎市の予算で、この天主堂の廃墟を復元し、陰の世界遺産としてのこすべきです。宗教や政治をこえた市民の心の中にとどめて欲しいと思います。
写真をコンピュータ処理すれば大体の復元図ができるでしょうし、3/4でもいいからなんとか復元してください。(09.7.16/T.H)

すばらしい写真展、感動です。
今あの天主堂がないのは、本当に残念です。何とかこの写真の思いを世界に伝えたいですね。(09.7.18/H.I)
私は戦争の事をよくしらないけど、写真をみてわかったと思う。
いい写真がいっぱいあった。(09.7.18/佐賀県/I.I)
「旧浦上天主堂」の記録展を見させていただきました。
人の記憶を承継し続けるにはモノの力がとても必要です。
そうした意味でも解体されてしまったことは残念です。たとえ石片でも、という思いがします。写真を撮られた方々の気持ちが伝わってくる気がしました。
初めてのピースミュージアム.(7/19.2009/O.H,O.R)

写真展を拝観し、改めて長崎市民・県民の方の心傷の深さを思い知らされ、深く心に刻むことができました。
日本の基礎、戦後の日本の魂を磨きあげ、素晴らしい日本を創造しなくてはなりません。
この原爆という人間を破滅に導く狂器をなくし、真の平和、世界平和の原点をなるべく皆で応援しなくてはと深く深く感じいることが出来ました。有難うございました。(09.7.20/Y.S(S4生)

写真展があることを、どこかのHPで見ました。ちょうど長崎旅行を予定していたので、行けたら行こうと思っていました。ホテルから近かったし、それできのうのTVでまたここのことが流れていました。
短期間で何度も見るということは、何かよばれているのかな?と思いここをおとずれました。
わたしも写真が好きでよく撮るのですが、写真は過去を記憶するものであり、未来を考えていかねばならないことなんだなと思いました。
ありがとうございました。(7/25/K/熊本県)
昨日TVで高原さんの凛々しいお姿と、ひたむきに対象にいどむ志を拝見!!
本日お会いできるかと思い参上しましたが…
わたしが79歳、高原さん85歳ですが負けぬよう元気を戴きました。
(7/25/M.Y、M.T/長崎市)
失ってしまったものを とり戻すことはできませんが(非常に残念ですが)、旧浦上天主堂の被爆遺構のレプリカを平和公園内に建てたらよいと思います。そうすることで何があの日におこったのかをもっと強く記憶にとどめてもらえるように長崎から発信できることになるのではないでしょうか。
◎写真を残してくださった方へ 真実を伝えてくださってありがとうございました。
(7/28/K.J/長崎市)
今まで語る事のなかった、私の人生ですが、私達家族、祖父、小父、小母、家が爆心地より100mの地点で、全部亡くなり、今日まで生きて来ました。
私たち姉弟三人が防空壕で助かり、現在は元気にくらしています。
今日、来場して良かったと思います。本当に有難うございました。
(7/31/S.M/長崎市)
私達の高校時代、旧浦上天主堂跡は、校内マラソンのゴール地点でした。まだその時(昭和31~34年時)は被爆した浦上天主堂の残がいが残っていたのを覚えています。
原爆被災構造物として出来れば、残しておいて貰いたかったと思いますが…
(7/31/T.H/長崎市)
テレビでお元気なお姿に接して大変うれしく思います。浦上天主堂の貴重な写真の数々を拝見して市政記者時代を思い出しました。
田川市長がセントポール市と姉妹都市関係を結ぶ為に渡米する際、市政記者団が国際文化会館のレストランで送別会を開きましたが、遺構の撤去問題は表に出ず、後で問題化したことを思い出しました。もっと問題意識を持っているべきだったと反省していますが、当時の世相や諸々の環境もあった様です。
写真集の出版、ぜひお願いします。(7/31/M.M/長崎市)
Thank you for your wonderful work to spread peace throughout the world!
(8/1/N.V/セントポール市(U.S.A.)
福井の兄を思い出したりいろいろでございましたがくれぐれもお体にご留意下さい。まして次の写真展をお待ちいたします。(8/1/T.M)
当時解体工事現場で働いていました。浦上天主堂の現場が初めての作業でした。写真には見おぼえのある光景があり、なつかしく見せていただきました。
(7/31/H/佐世保市)
今そこにいて、はなしかけてくるようなリアル感があります。廃墟の中にあってもたくましく生きる長崎の人たちの姿が、逆に原爆の悲惨さを想像させるようです。
(8/2/T/長崎市)
たまたま週刊朝日を読んでいて、浦上天主堂のこの記事を目にしました。見れば今日までの展示です。仕事で大村へ来ることが急きょ決まったので、これは行かねばなるまいと思って、大急ぎでやってきました。
なぜ、こわしてしまったのか!!
悔やまれますね。世界平和を心から祈ります。(8/2/I)

 朝日新聞の社会欄に、記者(波多野陽さん)の署名入りの現在、ピースミュージアムで行われています、高原至さんの浦上天主堂が被爆して戦後解体されるまでを おさめた初公開の写真展の記事を読みました。

 写真が2点も大きく取り上げておられまして、また高原さんの写真を撮ったそのきっかけ~廃墟になった天主堂を元気に走り回るこどもたちに感動しレンズををむけたこと~も載っていますし、また高原さんも、当時天主堂を残すべきと思い、当時の市長に保存を要望なさったそうですが、それはかなえられなかったことも、知りました。高原さんは天主堂のハンマーをたたきつけられる壁や、首にロープをかけられ運ばれる聖像の姿を、撮らずににはおられないお気持ちからお撮りになられたことも。「見ると痛ましい思いをする人もいるはずだ」というお気持ちから公開をなさらなかったそうですが、写っているこどもたちも高齢になっていることや、「記録のためにも見てもらおう」と展示をお決めになったことも。

そして、 「原爆に遭っても、これだけ明るい表情で、みんなが生きてきたことを知って欲しい」とお話しになられていることも、記事から、教えてもらいました。

 高原さんのもとで、大切に保管されていた写真50枚が、今こうして公開されたことに、とてもすごいことに思えます。高原さんも被爆され、御自身のお姿と、いつも天主堂は同じようにお感じになられ、一緒に時を過ごし、歩んでこられたのだと思います。御自身の被爆の苦しみと、天主堂の被爆の苦しみをいつも共に感じておられたからこそ、写真を撮りながらも、公開・展示されることなく、高原さんの心にいつも、大切にしまっておられたのでしょう。

 この写真を見てみたいです。高原さんにいつか、お会いすることができたら、お会いしたいと、心から、思います。

 本当に素晴らしい写真展でいらっしゃることと、存じます。
どうぞ、みなさん、夏バテなさらぬようにお気をつけてください。
 (県外、Nさんよりいただいたメールです)