2017/06/30 名古屋・浅野レポート

〇名古屋で“講演とみどりのせんそうほうき”(2017・6/20)

愛知県名古屋市でピーススフィア貝の火運動のミニ講演会とみどりのせんそうほうき作りが行われました。当会の理事、愛知県安城市在住の浅野敏さんとボランティアのK・Mさんらの取り組みです。


「平和学習会」として企画されたこの集会は、名古屋市の市民交流団体「もみじ」(代表・深谷信子さん*名古屋市緑区鳴海町)が毎年6月23日の沖縄戦終結の日<日本軍の組織的戦闘が終わったとされている>を忘れないようにしようとこの時期に開いています。ろうあ者を中心にした手話交流の場にもなっており、毎月2回、10人前後が集まって例会も開いて「学習・文化・情報など交換・交流」し楽しんでおられるんだそうです。


<名古屋市「南生協病院」>

今回は浅野理事らとの交流の中で「講演とみどりのせんそうほうき作り」が実現しました。
会場は、南医療生活協同組合の総合病院「南生協病院」(名古屋市緑区)の会議室。講演は2本立てで、「ピーススフィア貝の火運動」と「被爆者認定訴訟」、それに「みどりのせんそうほうき作り」。16人が参加されました。
浅野理事は、「ピーススフィア・貝の火・ピースミュージアム」とは何かをお話した後、貝の火運動の発足から現在までの活動内容などをパネルとパンフレットを使って説明しました。そして、“誰にでもできる平和への取り組みへの第一歩”として広報している「みどりのせんそうほうき」を全員で作りました。
もう一人の講演者は長崎の被爆者で名古屋市在住の高井タツエさん(81歳)。長崎に原爆が投下された1945(昭和20)年8月9日、爆心地から5kmほど離れた長崎市戸町で被爆し、その日に父親と親類の子を探しに原子野にも入って再被爆したそうです。若い時から被爆に起因すると思われる病気を多発しますが、国からは「被爆距離が遠い・原子野へ入った証明がない」等の理由で原爆症と認定されていません。2011年から国を相手にした「被爆者認定集団訴訟」に参加されていますが、却下されています。高井さんは、理不尽な国の対応に怒りをぶつけながらも、「春はきっと来ると信じて、子どもたちに平和な世界を手渡したいと心から願って頑張ります」と決意しておられます。

愛知県での活動は、この後、恒例になっています安城市「やろまいか!みんなの平和祭2017」(7/29-30)、また初めて名古屋市緑区「緑平和美術展」(9/23-24)参加が予定されています。
関西方面の会員・ボランティア、皆様のお手伝いを宜しくお願い申し上げます。参加可能の皆様はピースミュージアム事務局:電話095-818-4247、E-mail:museum@nagasakips.com へお願いいたします。

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