2017/6/13 北海道で軍馬展

〇北海道・本別町で「軍馬展」(2017・7/1-8/31)
本別(ほんべつ)町は人口7000人で、面積の半分以上が山林という“美しい自然と豊かな緑で囲まれた”町です。町を流れる小さな川がアイヌ語で「ポン・ペツ」と発音されるところから町名の「本別」が生まれたといわれています。北海道の東部、帯広・釧路・十勝の近くにあり、札幌市からは250kmほど離れています。
実は、この美しい山村の町が、太平洋戦争で長崎・広島に原爆が投下される直前、7月15日、米軍艦載機43機の空襲を受け、死者40人、住家の全焼・大破・倒壊392戸もの被災を蒙りました。
   
本別町はこの戦災の悲劇を後世に語り継ぎ平和の大切さを大事にしようと毎年、町を挙げて戦災記録展を中心に講演会・語り聞かせの会・ワークショップなどを開いています。
北海道の開拓が本格化する明治時代、日本は日清・日露戦争で大陸へ進出し、大正・昭和の各時代も大陸へ踏み込んだまま日中・太平洋(大東亜)戦争へと突き進みますが、それらの戦争に欠かせない「軍馬」の生産・育成に国を挙げて力を入れ、文字通り全国ネットで『軍馬補充部』を設置、この本別町にも農耕馬を軍馬に仕立て上げる「軍馬補充部十勝支部」が置かれ否応なく戦争に組み込まれて行きました。過酷な原始林を切り開き農耕地造成で豊かな国づくりを目指した人々の夢はこの戦争で潰されてしまいます。
本別町美里別に軍馬の悲しい話が盛り込まれた「鎮魂・軍馬之碑」が建立されています。

<鎮魂・軍馬之碑>
碑銘によりますと、1988(昭和63)年10月建立とあり、建立者として「森弘・楠茂音吉・泉野健」の3氏が刻まれています。このうち、森弘(故人)さんは当時の国鉄「仙美里駅」の職員で後年駅長を務めました。
当時、軍馬の輸送は国鉄。「軍馬補充部十勝支部」で育成された軍馬は、仙美里駅から大陸へ渡る港へ、また全国の各師団へ送られました。駅で作業に従事した森弘さん(故人)は、「馬踏板」を大事にしていました。ホームと貨車の間に渡したもので、馬蹄が深く刻まれていました。運命を察した馬たちは四肢を踏ん張り乗車を嫌がりました。その名残りでした。馬の悲運を胸にしまい込んでいた森さんは、退職後、「馬踏板」を納骨代わりに収める慰霊碑を建立しました。
 
<出征軍馬>           <森さんと「馬踏板」>
作家・吉永みち子さんは著書『もっと馬を!』(平凡社刊)の「戦場の馬」の項で森弘さんを紹介しています。
『戦後すっかり人間の生活は復興したのに、誰も馬の供養をする人がいないから、盆には駅で馬踏板を祭り、カンテラを置いて馬の霊の迎え火をたいて、自分だけでもとささやかに供養してたんですよ』
森さんの熱意に町長や知人(楠茂音吉・泉野健)らが協力し、慰霊碑は昭和63年10月31日完成しました。

<本別町歴史民俗資料館>
本別町歴史民俗資料館(館長・田野美妃さん)の2017年度企画展は、軍馬慰霊碑建立から節目の30年を迎え、また、軍馬補充部十勝支部の前身である陸軍牧場開設から110年を迎えるところから企画されました。本別町では、「道民挙げて子どもたちの教育向上を推進しよう」との北海道及び十勝“”教育の日の趣旨を生かそうと2007(平成19)年9月11日「ほんべつ学びの日」宣言を行い、「光風・祈風・夢風・実風」の4つの風に例えて事業を具体化しており、今回の企画展は、ほんべつ学びの日“祈風”事業として『7月15日 本別空襲を伝える~戦争にいった馬たち』のタイトルで実施されます。軍馬慰霊碑パネルのほか軍馬補充部十勝支部や本別空襲の資料の展示のほか、関連事業として「語り部の会」「読み聞かせ」など多彩で盛りだくさんのイベントが展開されます。
ナガサキピースミュージアムは、2014年の企画展「全国・軍馬慰霊碑」等の取材・展示を通じて本別町とも交流を深めており、今回も、北海道を含む全国の慰霊碑及軍馬史資料パネル50枚以上提供します。
展示期間は、2017年7月1日(土)から8月31日(木)。会場は、本別町歴史民俗資料館(〒089-3334・北海道中川郡本別町2丁目*電話0156-22-5112)。休館日は月曜日*8月11日は開館。開館時間は火曜~金曜日は午前9時~午後4時:土曜・日曜日は午前9時~午後3時。入場は無料です。
さわやかな夏の北海道。ぜひお出かけ下さい。

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