2017/5/17 国境なき医師団 ギャラリートーク

 〇 熱気に包まれたギャラリートーク
~『国境なき医師団 紛争地の現場から』~(2017・5/13)

『国境なき医師団  (MSF=MEDECINS SANS  FRONTIERES)』の参加スタッフで長崎県・福岡県在住及び長崎大学医学部熱帯医学研究所で研修中を含む医師・看護師が勢揃いしました。
2017年5月13日(土)午後1時、小さなナガサキピースミュージアムには来館者があふれ、熱気に包まれました。
世界に広がる紛争地や医療に恵まれない地域での困難な医療活動の様子が生々しい表現を交えながら報告され、質疑が飛び交う場面もしばしば。
当日の模様が15日付の新聞にも掲載されました。


<2017・5/15・毎日新聞>


<2017・5・15 長崎新聞>

この「ギャラリートーク」は、紛争地に限らず、あらゆる人道危機の現場でどのように医療を届けるのか、また国境なき医師団に参加して現地で実際に活動したスタッフたちが現地で感じた苦悩や怒り、喜びなどを生の声で語って貰おうと企画しました。


<写真右下: 舘俊平(国境なき医師団 日本 メディア担当マネージャー)>

NPO国境なき医師団日本(東京都新宿区馬場下町)から広報部の舘俊平メディア担当マネージャー(上記写真)も駆けつけました。
「ギャラリートーク」は当初午後3時から1回だけの予定でしたが、事前に問い合わせが相次ぐなど反響があり、急遽、午後1時を「第1部」、午後2時を「第2部」、そして午後3時を「第3部」に設定し、スタッフ総動員での取り組みとなりました。
写真展を見てトークイベントのことを知り再来館して頂いた方、一部から三部まですべてに耳を傾けて頂いた方、お知り合いからイベントの存在をお聞きになって参加され、MSFへの募金を決めた方もおられました。皆さんには熱心にお聞き頂き、トークは終始スムーズに展開されました。
参加して頂いた医師・看護師らスタッフの皆さんのプロフィールを交えながら、当日の模様をご紹介します。

●第一部:上平明美さん
上平さんは岩手県出身の看護師。2007年にMSFへ初参加し、これまでウガンダ・シエラレオネ・スーダン・南スーダン・エチオピア・ナイジェリア・インド・インドネシア・ミャンマー・シリアなどで活動されました。
上平さんはまず長崎について、平和教育がなされているのが素晴らしい、とコメント。そして、アフガニスタンの医療支援を行った経験を語られ、『「戦争中でも狙ってはいけない所」という表示があるということを、写真を見せて教えてくれる。それにもかかわらず、狙われたことがあった。2013年12月、首都がクーデターに遭った際は、緊張のなか、毎日20~30人という人々が運ばれてくる。病院では、午前6時から午前3時という看護が緊張のなか続いていく。しかしこうした現状が、日本のニュースではほとんど取り上げられていなかった。ネットニュースで探しても見つからない。現地では、やせた女性たちが、疲れて、何も言わず、ただ涙を流しているという現状を見た』と話されました。
<質疑応答>
Q1:どのような支援をするのか?協力体制は?
A1:産婦人科医がいなければ、産婦人科医が行く。上平さんが行った病院は、消毒ができなかったため、消毒をするよう手助けするというように、現地に足りないものを補うという形で支援する。
Q2:コミュニケーションはどうやっているのか?
A2:とても、難しい。言語がちがう。ただ、どこの現場も、通訳は居る。

●第二部:鈴木基さん
鈴木さんは広島県出身で、東北大学医学部卒業の内科医・疫学専門家。現在、長崎大学熱帯医学研究所で臨床感染症学分野の助教を務めておられます。2003年からMSFの活動に参加され、これまでスリランカ・パレスチナ・東日本大震災の被災地で活動されました。又、2014年にはリベリアでエボラ出血熱流行にも対応されましたが、この日、「2014年以来、アフリカ中部コンゴ(旧ザイール)でエボラ出血熱の感染が確認され死者が出ている」とのWHO(世界保健機構)発のニュースが飛び込み、急遽「エボラ出血熱」に関するお話となり、鈴木さんはリベリアでの体験を語られました。


『エボラ出血熱は、アウトブレイクが起きると大変である。MSFがその脅威をWHOに訴え続けて2014年にやっと世界に警告がなされた。
教育や医療に対する理解が、あまりにない。エボラ出血熱患者が出た家族は村八分にあうこともあり、病院へ行きたがらない。伝統医療で祈祷をすることもある。そうした文化的背景から、なかなか報告をしてくれず、死者を増やしてしまったり、さらなるアウトブレイクを招いたりしてしまう。エボラで亡くなった人を葬った人がエボラにかかり、亡くなるケースもある。血液検査はリベリアではできず、隣の国シエラレオネにて行われていた。フォヤというところにエボラ治療センターがあり、100人以上が入れる。エボラの疑いがある患者は、どういう人と接触したかなどを訊かれる。3~4日、いろんな人と接触している。医療施設なので、環境は比較的良いので、子供たちは、元気にしている。ワクチンも開発された。』
<質疑応答>
Q1:エボラに対しての治療は?
A1:今は対症療法しかない。治らない病気である。
Q2:エボラに似た病気はどんなものがあるか?
A2:ラッサ熱やデング熱。デング熱は蚊が媒介する。

●第三部:黒﨑伸子さん・早水真理子さん・佐藤聖子さん

 
<黒﨑伸子さん>

黒﨑さんは長崎県松浦市出身で長崎大学医学部卒業の外科医。2001年からMSFへ参加し、これまでスリランカ・ヨルダン・インドネシア・リベリア・ナイジェリア・ソマリア・シリアなどで11回活動されています。2010年から2015年まで「国境なき医師団日本」の会長を務められました。現在、長崎県時津町で地域医療に当たっておられます。
『国境なき医師団に応募したきっかけは、大学に貼られたポスターだった。「あなたを待っている人がいます。」それを見た4日後には、MSFの面接を受けていた。今後も、MSFを目指す若者を支援していきたい。』と抱負を語られました。
また、質疑応答の中で、医師・看護師含めMSFスタッフへの共通の質問とも言える「紛争地に於ける危険・恐怖感について」の質問が出されましたが、スタッフを代表する形で黒﨑さんは『私達は、怖いというより、そこへ行きたいという思いが強い。戦争がひどくなれば、行くことはできなくなるかもしれないけれど。』と答えておられました。


<早水真理子さん>

早水さんは福岡市在住で九州大学医学部卒業の麻酔科医。2014年からMSFへ参加し、これまで南スーダン・イエメンで活動されました。今回は難民キャンプでの医療活動についてお話しされました。
『雨季は医療施設も例外なく浸水する。そのような生活も厳しいなかで、医療活動を行う。手術が、いつもできるわけではない。しかしそんな中でも、できるだけ水準の高い手術を行うよう取り組む』


<佐藤聖子さん>

佐藤さんは群馬県出身で滋賀医科大学医学部卒業の麻酔科医。2015年からMSFへ参加し、これまでアフガニスタン・イエメンで活動されています。
『アフガニスタンに赴任した際は、タリバン勢力もいた中だった。仲間たちが病院で殺されたこともあった。空爆が2時間続くこともあった。
火傷を負った少年。皮膚洗浄(とても痛いらしい)を何回も繰り返すが、苦しい顔をしない。少年の両親は爆撃により亡くなっていた。手術をしていると、銃弾が患者さんの手足から当たり前のように出てくる。心臓や頭を銃弾に撃たれると、即死や重症になるのだが、手足となると、切断となる。切断された人たちが、今後どう生きていくのか心配になる。イエメンでは医療関係者の家に大きな不発弾が入ってきたこともあった。イエメンの人たちは、おもてなし精神が強く、最後の勤務日には少ない給与からお別れパーティーを開いてくれた。任務が終わりアフガンからパリへ移動し、ミーティングをした際にも、2015年11月のテロにも遭遇し、紛争・テロ相次ぐ世界の現状に改めて平和の大切さを感じた。』
          
                         

●エピローグ:菊地紘子さん・菅沼洋治さん
今回の「ギャラリートーク」には、長崎大学医学部出身の女医:黒﨑伸子さんが会長を務められ「国境なき医師団日本」の先頭に立たれたということもあって、ケニアを中心にこの50年間アフリカ医療支援活動に取り組んでいる長崎大学熱帯医学研究所関連の方や、ご友人、お知り合いの皆様に多数おいで頂きました。
特に遠方から駆けつけて頂きましたお二人には、コメントを頂きました。

菊地紘子さんは宮城県出身で看護師です。青年海外協力隊の経験を経てMSFに参加し、2004年中央アフリカ・ハイチで活動されました。

菅村洋治さんは佐世保市出身で新潟大学医学部卒業の外科医。長崎大学医学部第一外科に入局され、さだまさし会長の名曲「風に立つライオン」の舞台となったアフリカ・ケニアでの医療活動にも参加されました。1975年からは佐世保中央病院で地域医療の先頭に立たれました。2007年65歳で定年退職後、MSFに参加され、これまでパキスタンなど10か国の地域で活動されました。

当日は聴衆のあまりの多さに大扉を開けデッキも客席に利用したほか、マイクの音量を上げ、休憩時間にはお茶のサービスも行いました。
皆様のご支援に感謝申し上げ、ご報告といたします。

『国境なき医師団~紛争地の現場から~』は、5月21日(日)午後2時まで開催中です。入館無料。
お誘い合わせのうえご来館下さい。
お問い合わせは電話:095-818-4247へお願いします。

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