2017/5/3 長崎・街歩きのお誘い!

〇まさし&ヒロスケ「長崎・街歩きのお誘い!」
●少し古い話で恐縮ですが、さだまさし会長が長崎弁を駆使したNHK-BSご覧になりました?
『世界ふれあい街歩き』長崎スペシャル、1月末の放送でした。それが、改めて、5月1日付・長崎新聞の読者“声”欄に投稿され掲載されました。長崎市のM・Aさんで、「58歳・無職」とありました。
見出しは「長崎の街歩きで国際交流も」。舞台は、ピーススフィア貝の火運動の前理事・牛嶋洋一郎さん運営の「東山手・地球館」です。
M・Aさんは、『歌手のさだまさしさんの語りで、街で会った人たちと長崎弁でおしゃべりをし、グラバー園や教会などの観光地をはじめ、市街を歩く番組でした』と番組を紹介された後、『目を引いたのは旧居留地の東山手「地球館」でした』として、長崎在住留学生らを中心とした外国人との国際交流の場である「地球館」を丁寧に紹介され、街歩きでの立ちより交流を案内されています。

 <2017・5/1付 「長崎新聞“声”欄」>

●長崎街歩きの“旬(しゅん)”は「ヒロスケさん」ですよ!
「ピーススフィア貝の火運動」企画展の支援を頂いている(株)長崎文献社が2017年1月16日に発行した長崎のガイドブック・長崎游学(12)の『ヒロスケ長崎ぶらぶら歩き*まちなか編~町に人あり、人に歴史あり』が大きな話題を巻き起こしています。
健康志向のウオーキングに長崎の豊かな歴史が味付けされ、年配だけでなく若者の知的関心を呼んだようです。値段も1000円で手ごろ感があり、長崎市内の書店ではベストセラーで売り切れが続出し、現在3刷に入っています。


<長崎游学(12)「ヒロスケ長崎ぶらぶら歩き」(長崎文献社刊・)>

「ヒロスケ長崎ぶらぶら歩き」の特徴は、江戸時代の長崎の町建て図(古地図)と現在の長崎の町並みを重ね合わせた部分で、日本の近代化に貢献した歴史的な建築物の場所・跡地に加え、全国から長崎に出向き海外の知識を学んだ著名人の居宅跡などが手に取るように分かります。
また、町々に残り伝わる様々なエピソードが網羅され読むだけでも長崎の異国情緒あふれる歴史を知ることが出来ます。
一つだけ紹介しますと、かつて長崎奉行所があった近くの上町のお地蔵さんです。小さな写真付きで『原爆の火から町を救ったお地蔵さん』のタイトルでその由来が書かれています。
『お地蔵さんはその昔、矢上・現川の川底に沈んでいましたが、町内の西利三郎さんの夢枕に現れ「余を助け祀れば町内安全間違いなし」と告げられました。西さんはお地蔵さんを救い出し隣町の寺に安置しました。そして、1945(昭和20)年春、今度は町内会長らの夢枕に現れ「近いうちに長崎市には天光り地裂ける大惨事が起こる。余を町内に移せば安全間違いなし」と告げました。町内会長らはすぐに遷座式を行ってお地蔵さんを町内に移しました。その年の8月9日、長崎に原爆が投下され浦上は壊滅し旧市内も延焼しますが、火災は上町の手前で止まり事なきを得ました』

2017年4月28日、そのお地蔵さん近くのNBC長崎放送会館「ビデオホール」で、長崎文献社文化フォーラム『「ヒロスケ長崎ぶらぶら歩き」を語る』<写真下>が開かれ、街歩きの楽しさと意義を語りました。



「ヒロスケ」こと山口広助さんは旧丸山遊郭東側一角にある料亭「青柳」の若旦那さんです。1970(昭和45)年生まれで、関東の大学で土木工学を学んだ異色の郷土史家です。1998(平成10)帰郷し、料亭青柳に戻った後は旧丸山遊郭界隈の振興などを通じて長崎の観光発展に力を注ぎ地元自治会長、長崎史談会会員として活躍する一方、公民館講師や地元テレビ局のタレントとしても“旬の活動”をしています。
長崎文献社フォーラムでは、仲間ともいえる音楽家でタレントの「いっちゃん」こと市原隆靖さんと一緒にユーモアたっぷりのトークを展開し長崎の街歩きをすすめました。

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