2017/3/12 「朝鮮通信使」

〇“朝鮮通信使”を世界記憶遺産に!
  ~仁位孝雄さん「長崎楽会」で講演(2017・3/11)  
「長崎楽会」(堀憲昭理事長)は長崎の豊かな文化を学ぶ市民団体で毎月一回例会を開いており、3月例会(3/11・県交通会館)に、現在ピースミュージアムで写真展を開いている仁位孝雄さんが招かれ『友好交流を支えた苦難の4000キロ~写真で見る“朝鮮通信使の道”』を講演しました。
 
<仁位孝雄さん>           <長崎楽会3月例会>
“朝鮮通信使”は、今風に表現しますと「朝鮮国が日本国に派遣した外交使節団」です。“通信”は国交の意味です。京都室町に幕府が開かれた室町時代から、いわゆる「秀吉の朝鮮出兵<文禄・慶長の役>」時の中断をはさんで江戸時代後期・文化年間に至るまで約200年間派遣され、友好・平和交流が保持されました。
通信使は、対馬藩が仲介する形で、全12回<1607年~1811年>行われ、1回の一行は500人規模で、全長往復4000キロに及びました。日韓両国には、通信使の全貌を記録した「通信使騰録」や徳川将軍への「朝鮮国書」、関連の屏風・絵図・詩書を始め、川を渡る架橋の資料や通信使人形や唐人踊りなどが残り往時の雰囲気を伝えています。仁位さんはルートの今をとらえた写真を中心に90分講演し「友好交流」と平和の大切さを強調しました。
 
<朝鮮通信使>                         <朝鮮通信使のルート>
「朝鮮通信使」時代の“朝鮮”は、明治維新以降第二次世界大戦に至る歴史、その後朝鮮戦争を含む国際軍事情勢下にあって分断<大観民国(韓国)&朝鮮民主主義共和国(北朝鮮)>されており、通信使時代の良好な関係は厳しい状況です。しかしながら、特に日韓両国関係者の間には「このような混沌とした時代にこそ朝鮮通信使の遺産(誠信の交わり)は国際関係の課題解決のための素敵なヒントを与えてくれるはず」と確信しており、日本側、NPO「朝鮮通信使縁地協議会」(理事長・松原一征)、韓国側、財団法人「釜山文化財団」(代表理事・イムンソプ)が共同で2016年3月、ユネスコ記憶遺産登録を申請し、2017年秋の登録決定を目指しています。

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