2017/2/25 「松森天満宮に“ゆうこう”大樹!」

〇 長崎旧市街地で初の“ゆうこう”大樹発見!

        ~松森天満宮境内~(2017・2/23取材) 

  

          <「ゆうこう」・松森天満宮境内の“ゆうこう”大樹(中央)>

「ゆうこう」は柚子(ゆず)・橙(だいだい)・檸檬(レモン)などと同じ仲間の「香酸柑橘(こうさんかんきつ)」です。近年、独立行政法人果樹研究所から長崎県果樹試験所に移られた専門職員さんの研究で在来の香酸柑橘の”新種”と認定された果実で、レモンと温州ミカンの中間の食味を持ち、長崎県立大学の研究ではその栄養価も通常の柑橘類よりも優れていると言われており、長崎市では特産品として普及に努めています。長崎市南部地域に居住していた元長崎市職員のK・Mさんが2001年、地域に拡がる柑橘(かんきつ)に注目したのが「ゆうこう」発見へつながりました。
K・Mさんの調査で「ゆうこう」が見つかったのは、カトリック信者が居住し旧佐賀藩の領地下にあった長崎市土井首地区や外海地区、佐賀県唐津市馬渡島を中心に、カトリック教会の多い五島列島の中通島・若松島・奈留島などでも見つかっています。地域の人の話では江戸時代からあったらしいというだけで詳細は不明です。「ゆうこう」の呼称も地元の人たちは「“ゆうこう”は“ゆうこう”たい!」とおっしゃるだけで、その意味も不明です。
ナガサキピースミュージアムでは、企画展『“ゆうこう”を食べたことがありますか』(2009・11/17-12/6)で取り上げるとともに、ジャム化した“ゆうこう”を練りこんだ「ゆうこう飴」を開発しグッズ商品として全国コンサート会場などで販売しその知名度アップ・普及を支援しています。

  

<松森天満宮:本殿&「職人尽」>

K・Mさんはこれまでの研究成果を本にまとめる予定で準備していますが、このほど、長崎県指定有形文化財で江戸時代の『職人尽』で有名な松森天満宮(長崎市上西山町:宮司・伊奈歌子さん)の境内に“ゆうこう”の大樹があることを確認しました。大樹は高さが5メートルを超えており、今の季節は果実も少なく、“ゆうこう”の大半は落下し、一、二個を見ることが出来ますが、誰が、何時、植樹したかなどは記録もなく判っていません。

“ゆうこう”大樹のそばには、江戸時代に長崎市内で寺小屋を開いた近江の国(滋賀県)小谷藩・笹山家ゆかりの『笹山蕉川翁之碑』(ささやましょうせんおうのひ)があります。“長崎ん町”の郷土史家・山口広助さんによりますと、笹山蕉川は明治時代に「笹山学舎」を創立し5000人を超える卒業生を送り出した言われ、記念碑は、1912(大正元)年、卒業生によって建立されました。碑文は伊藤内閣の伊東巳代治農商務大臣、漢学者で長崎市議会議長の西道山によるものです。
“ゆうこう”の大樹が長崎市の旧市街地で確認されたのは初めてのことです。この“ゆうこう”がこの笹山蕉川翁之碑建立の際植樹されたとすれば、100年の時を超えて新たに“ゆうこう”ロマンが広がります。

  

<笹山蕉川翁之碑>        <“ゆうこう”100年?の大樹>

 

 

 

 

 

 

 

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