2016/11/30 カストロ死去

〇カストロさんに出会ったヒバクシャ!(2012・3/1)

“20世紀の巨人”・・・キューバ革命の指導者で世界に君臨したフィデル・カストロさんが2016年11月25日(日本時間26日)死去しました。90歳でした。カストロさんは、2008年体調をこわし国家評議会議長を辞任したあともそのカリスマ性で国内外に強い影響力を示していました。
2012年3月、カストロさんはキューバを訪問した広島・長崎のヒバクシャ10人と面会しました・・・2003年には広島を訪問し原爆慰霊に献花し被爆者と面会していますが、議長辞任後は公の場に殆んど出ることがなく、多分この10人との出会いが、ヒバクシャと会った最後の機会だと思われます。記念すべき1枚の写真です。

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(2012年3月1日キューバ:カストロさんを囲んでヒバクシャと撮影)

この10人のヒバクシャは、国際NGO「PEACE BOAT」が企画した平和活動「おりづるプロジェクト」の「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」の一行です。世界一周の船旅を通じて各地で原爆被害の証言を行い、核廃絶のメッセージを伝えました。日本政府からも「非核特使」を委嘱され、この年(2012年)1月~5月、世界の20か国を訪問、キューバには39日目の3月1日寄港し、ハバナ市内で行われたキューバ市民との交流会・核廃絶フォーラムに参加しました。カストロさんは「広島・長崎のヒバクシャがやって来た」とお聞きになってぜひ会いたいと会場に見えたということで、車いすでの登場でした。公の場も久しぶりとのことで大勢のキューバ市民だけでなくマスコミも殺到し、翌日の新聞は一面トップで内容も演説全文を掲載するなど大きな扱いでした。

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(カストロさん・・2時間余りの演説でした)

カストロさんの演説は一言で言えば“世界情勢に対する分析・見解の表明”でしたが、世界が核戦争一歩手前まで行ったと云われたいわゆる「キューバ危機」から米国主導で日本も参加した「経済封鎖」、「チェルノブイリ及び福島の原発事故」、「核兵器・核との共存」、「自然エネルギー」、「公害」、「大国の責任」、「科学技術の歩み」、「宇宙開発の歴史」、「人口増加と食料」、そして、「被爆者証言の重要性と発信」を求めた後、最後に日本国民向けに「平和のために問題を共有し、人類の生き残りをかけて闘おう」と呼びかけられました。
「核兵器・核との共存」部分について、紹介します。

『広島と長崎のとき、核兵器を爆破させるボタンを持っている人は一人もいませんでした。あったのは2基の核爆弾だけ。これらは意図的に悪意をもって使われました。恐怖を植えつけるために実験として使用されました。
それは歴史的事実であり、全世界が知っていることで、立証済みのことです。
現在、人類は全世界で2万5000の核兵器をもっており、当時のものよりずっと正確で破壊力があります。
核兵器が存在する世界は存続できません。ただ単に不可能です。
現在では核のある世界が可能であるという狂人的な考えがまかり通っています。いつまでそれが通用するか待つ必要があるでしょう。核兵器のある世界が成立し得ないのと同じように、平和と核兵器も共存することはできません。
我々は生きる権利を勝ち取るために細心の注意をはらっていかなければいけません。大衆に真実をしらせ、動かさなければいけません。次世代が自然体で尊厳のある人生を送れるように。』

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(2016年11月27日付「長崎新聞」)

カストロさんは、2016年11月25日(キューバ時間)、90歳で死去。ニュースは世界を駆け巡りました。
ヒバクシャとしてカストロさんと会った増川専務理事に長崎新聞社と共同通信社の取材があり、その模様が上記の記事となりました。その関連部分です。

 『長崎市昭和3丁目の増川雅一さん(75)ら長崎の被爆者5人は2012年3月、広島の被爆者5人と共に、非政府組織(NGO)ピースボート主催の「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」でキューバに寄港。ハバナでのフォーラムに参加した。車いすで登場し、被爆証言を聞いたカストロ氏は、被爆者の苦しみに寄り添うようにスピーチで「核兵器が存在する世界は存続できない」と訴えたという。
 増川さんはカストロ氏と握手した際の力強さを覚えており、「政治的に絶大な力を持っていた人が核兵器をなくそうと発言したことに重みを感じた。この気持ちをキューバの人が持ち続けてほしい」と悼んだ。』

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(カストロさんと握手<場内スクリーン>し、壇上で手をつなぐ増川専務理事)

また、共同通信社の記事は全国の地方紙に配信されましたが、愛知県のボランティアさんからの連絡では名古屋の中日新聞に掲載されました。関連部分を抜粋します。

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(2016年11月27日付「中日新聞」)

『長崎で被爆した増川雅一さん(75)は 12年にキューバを訪問。被爆者の討論会に姿を見せたカストロ氏に「体験を語ることはあなた方の義務だ」と語り掛けられ、証言活動を決意を新たにしたことが忘れられない。「影響力の大きい人だった。早い段階で反核を訴えてくれれば、核廃絶の動きはもっと進んだのではないか」と惜しんだ。』

 *カストロさん(フィデル・カストロ)略歴
1926年生まれ。キューバ主要産業「サトウキビ栽培」を土地を含め米国に支配されていることなどに反発し1951年、革命家チェ・ゲバラらと政権を倒し革命を達成。当時の米国アイゼンハワー政権が面会を拒否し1961年国交を断絶すると冷戦下のソ連の社会主義路線を取り、翌62年、ソ連の核ミサイル配備を受け入れ、歴史に残る“全面核戦争の瀬戸際”と言われる「キューバ危機」を招きました。
90年代、冷戦終結でソ連が崩壊。独自の道を模索し、教育・医療の無料化で築いた国民パワーを前面に独立を推進しました。2015年、54年ぶりに米国と国交を回復し、安倍首相など各国要人とも面会、経済封鎖の解除など平和裡に全面的な交流実現を目前に死去しました。
革命指導者・反米政治家として名を残し、そのカリスマ性も大きなものでしたが、当初は米国好きで、「イチロー」ファンの野球好きでも知られる一面、また、2008年病気で議長辞任後は「今は老いとの闘い」と口にするなど人間的な一面を見せていました。

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