2016/10/1 山本安見子さん来館

*エッセイスト・山本安見子さん来館<2016・9/28>

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<山本安見子さん(左2人目)右隣・松田裕二理事長>

山本安見子さん(1942年生まれ)は、長崎市出身の文芸評論家で文化勲章受章者の山本健吉さん(1907-1988)を父に、俳人・石橋秀野さん(1909-1947)を母に持つ著名なエッセイストです。病弱なお母さまのもとで山本健吉さんの秘書の大役を務められ、長崎にも度々お出でになっています。
今回は、健吉さんの実家・福岡県八女市での仏事法要に参加後、長崎へ足を運ばれました。

山本健吉さんは、当会会長さだまさしが“父”とも仰ぐ、恩人のおひとりです。デビューして間もなく同じ長崎市出身として縁があり交流が始まりましたが、1981(昭和56)年1月、新潮社から刊行された「小説新潮スペシャル」の中で、『さだまさし頌』としてさだまさしの楽曲を文学的観点から評論され高く評価されました。特に、当時各種評論家などから“さだは右翼か”とまで言われた映画「二百三高地」の主題歌「防人の歌」について、『“おしえてください この世に生きとし生けるものの すべての生命に限りがあるのならば”・・・この問いかけは、今日では単に戦争に対して言われているのではなく、ひろく人類の文明を破壊するもの、また、「私の大切な故郷」を死なせるものに対して問いかける、真摯な響きを持っている。そしてそれは、彼のこれまでの作詞作曲の多くについても言われるものである。』 との指摘をされました。

ナガサキピースミュージアムでは、松田裕二理事長が対応し、建設の経過や平和モニュメント、照明など日本を代表する人々の支援と平和を愛する全国の人々の願いと希望が小さなミュージアムに凝縮されていると説明しました。
山本安見子さんは、この後、ピーススフィア貝の火運動長崎・福岡の2人のボランティアさんの案内で、長崎市内の旧山本家跡や諏訪神社参道の「健吉文学碑」などを訪問されました。

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