2016/3/11 首藤さんの被爆ノート

●被爆体験「海に飛び込み 逃れる」(首藤栄さん)
160310・長崎「私の被爆ノート・首藤栄(84歳)」245KB・ 切り絵(青春)・198KB

 長崎市東山手在住の木版画・切り絵作家、首藤栄さん(84歳)が2016年3月10日付長崎新聞の企画「忘られぬあの日“私の被爆ノート”」第981回に登場し、14歳時の被爆体験を生々しく証言しました。
首藤栄さんは1931年11月生まれで、今年84歳。英語教師として長崎県内で39年勤務し、定年後は棟方志功の「板画」との出会いから「木版画」「切り絵」作家としての道を進み、2010年10月ナガサキピースミュージアムで企画展「首藤栄切り絵作品展・日本のかたち」を開催しました。座右の銘 『人は迷った時や絶望している時、言葉にすがる。そして希望はたった一つの言葉から生まれる』<フランスの哲学者アラン「幸福論」>から日本語の持つ“豊かで美しい言葉”を作品に取り入れるだけでなく、今の時代に失われつつつある美しい日本の心を大切にすることによって平和を実現しようと呼びかけています。

首藤さんの被爆体験の全文です。

『当時14歳で、大浦国民学校高等科2年生。敵機を警戒しながらの学校生活で、校舎裏の崖に防空壕(ごう)を掘ったり、運動場にサツマイモを植えたりしていた。
 テレビもない時代。ラジオや新聞は、社会の様子や世界の様子や動きを知るためには欠かせず、学徒動員でクラス全員が新聞配達をしていた。9日はとても暑く、セミがよく鳴いていた。いつものように配給所へ行くと、鉄道のどこかが爆撃され新聞を運ぶ列車が遅れると知らせがあった。とても暑い日だったので、みんなで近くの海岸で涼みながら待つことに。その後、石炭や砂利を積んで停泊していた団平船の上を走り回って遊んでいると突然、1人の水兵が叫んだ。「爆弾が落ちるぞ、海に飛び込め」
 皆とっさに飛び込み、しばらく水中にいたが息が続かない。海面から顔を出した途端、」目もくらむ強い光に驚き、また潜った。もう一度顔を出すと、暗くて何も見えない。爆風で飛ばされた粉じんが海面に広がり、べっとりと顔にへばりついた。次第に視界がはっきりすると、巨大なきのこ雲がむくむくと膨れ上がっている。あの中から何か出てくるのではないかと恐ろしくなり、みんな海から陸に夢中で上がって、走った。
 がれきの中を素足で歩いた。擦れ違う人は頭や顔が血だらけ。自宅は雨戸やガラスが畳の上に散乱しており、誰もいなかった。避難所の防空壕では、けが人のうめき声や家族の安否を気遣う人の声が入り乱れていた。ようやく母を見つけてほっとした。姉は頭にガラス片が刺さって血を流していた。長崎駅近くで働いていた父も生きていた。
 翌日、不明者を捜し歩いていた父から、黒焦げで男女の区別さえ判別できない多くの死体、ボウフラがわいた防火水槽に折り重なった死体の話などを聞いた。壕の近くでは、火葬の光景が毎日のように続いた(※取材・嶋田嘉子記者)』

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