2015/7/9 模擬原子爆弾

大阪から届いた“模擬原爆投下地の慰霊碑”

「あなたは“模擬原子爆弾”って知っていますか?」
広島・長崎に人類史上初の原子爆弾が投下される前、アメリカは、本物と同サイズの模擬原爆を作り投下実験をしました。それは長崎原爆と同じようなものでした。
原爆は、上空約9000mの高度から投下されますが、投下機は早急に逃げなければ吹き飛ばされてしまいます。投下機は原爆が機体を離れたら右へ150度ほど反転してその場を離れなければならなかったというのです。

「大阪戦争モノ語り」114KB 慰霊碑キャプション・146KB
<森田敏彦著「大阪戦争モノ語り」*模擬原爆投下地の慰霊碑>

 「軍馬慰霊碑」で交流した大阪府の元高校教師・森田敏彦さんから近著『大阪戦争モノ語り~街かどの「戦跡」をたずねて』(清風堂書店☎06-6313-1390・2015・8/15発行・定価税別1600円)を送って頂きました。
森田さんは、街かどに残っている戦争を伝える「戦跡」を通して平和の大切さを伝えようと出版しました。戦争体験者が少なくなり、戦争の記憶が薄れつつある今、「忘れてはならない」こととして多くの戦跡を写真付きで紹介し、戦跡ウォークを呼び掛けています。
第一章「大空襲の傷あと」・第二章「大空襲の炎に追われて」・第三章「戦争をすすめるために」・第四章「心のなかも戦争へ」・第五章「反戦平和のために」とつながれ、「平和な未来をきずく糧にすることを願う」と結んでします。

第二章で 『模擬原爆投下地の慰霊碑*大阪市東住吉区田辺1-6-7』が目にとまりました。
大阪”原爆模擬爆弾投下跡地”碑・109KB 『一九四五年七月二十六日九時二十六分、広島・長崎への原爆投下を想定して、この田辺の地に模擬原爆が投下され、村田繁太郎(当時五十五歳)ほか六名が死亡、多数の方が罹災しました。ここに犠牲者の冥福をお祈りし、戦争のない世界の実現と全人類の共存と繁栄を願い、碑を建立します。
   ニ○○一年三月吉日   建立者 大阪市<番地等略>    村田保春(八十四歳)』
*記録によれば、田辺への模擬爆弾は当時南海電鉄の田辺駅近くの料亭「金剛荘」を直撃し死者4人・行方不明6人・重軽症者85人・被災者1302人に上りました。

模擬原子爆弾(かぼちゃ型のためパンプキン爆弾と呼称)は、長崎投下原爆(「ファットマン))と同様の形・重さ(約4800kg)弾道特性を持っています。アメリカは、原爆投下を“成功”させるための事前データを得る必要があり、繰り返し繰り返し“訓練”として投下しました。
1945年7月20日から、富山市・新潟県長岡市・福井県敦賀市・静岡市・名古屋市など全国30都市に50発も投下され、全体で死者400人、負傷者1200人を越える被害が出ました。
広島・長崎に隠れていますすが、忘れてはならない“もう一つの原爆被災”と言えます。

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