2014/12/27 ~長崎新聞「長崎 ひと百景」に増川専務理事~

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<長崎新聞・12月27日付>

長崎新聞社の企画「長崎 ひと百景」の12人目に増川専務理事が登場し、ピーススフィア貝の火運動への参加の動機とともに20年の経過・ピースミュージアム12年の歩みなどを語りました。同社特別編集委員・峠憲治記者の執筆、写真メディア部・濱崎武記者の写真で10面全面に掲載され、「未来に平和な地球を」「小さな場所から異彩を放つ」の見出しが付けられました。
長崎新聞には現在、さだまさし会長の連載小説「ちゃんぽん食べたかっ!」が掲載中。また、企画展「馬たちの戦争~軍馬慰霊碑に見る戦争と平和」(2014・12/1~2015・1/25)が話題となっていることなどから大きく取り上げられたようです。一部を抜粋して紹介します。

『ピースミュージアムの出発点は、被爆50年の1995年にさかのぼる。「未来の子どもにたちに平和な地球を」。さださんの提唱は「ピーススフィア貝の火運動」として、全国からの募金でその8年後オープン、具現化した。「スフィア」は英語で球体、つまり地球、「貝の火」は宮沢賢治の童話から、生命を慈しむ大切さ、つまり平和の尊さを説いているという。明くる新年は、そのピーススフィア貝の火運動が始まって20年、ピースミュージアム開館から12年を迎える。
オープン当初から事務局長、現在は専務理事としてピースミュージアムで多彩な企画展を実現してきたのが、増川雅一さんである。2002年にNBCを定年退職したばかりのころ、かつてNBCの先輩だった、ピースミュージアムを運営するNPO法人「ナガサキピーススフィア貝の火運動」理事長で、さださんをよく知る徳安恂さん(長崎映像社社長)から声がかかった。「さださんば手伝うてくれんね」
目立たぬ小さな場所から光彩を放つさまざまな企画が、こうして発信されていった。戦争や原爆を告発する内容はもちろん、世界の飢餓や貧困、差別をテーマにしたものもある。凶弾に倒れた元長崎市長伊藤一長さんの血染めのシャツが展示されたのは、三回忌の時だった。
今年は第1次世界大戦勃発から100年だった。あと数日で迎える15年は、太平洋戦争が終わって70年、そして被爆70年の年となる。
ピースミュージアムで、年を継いで1月2日から後期展が始まる「馬たちの戦争~軍馬慰霊碑に見る“戦争と平和”は、私たちに戦争と平和についてあらためて考えさせてくれるに違いない。戦地に引き立てられた軍馬の慰霊碑や顕彰碑を訪ね、それらの写真とともに軍馬の歴史を紹介している。増川さんが長年温めてきたライフワークでもあった。
今の幸町で酒屋や荷馬車運送業をしていた祖父と、市職員で軍馬の調達をしていた父は一緒に馬の品評会に向かう途中爆死したとみられる。遺骨も見つからなかった。4歳だった増川さんは疎開先の赤迫町で被爆している。NBCを退職後、全国の軍馬の碑を訪ねるのは、祖父と父への鎮魂の旅でもあった。』

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