2011/10/5 高原至“大災害”写真展in長崎海洋気象台

2011年5月、ピースミュージアムで開催した「高原至“大災害”写真展」が、長崎海洋気象台で引き続き開催中です。諫早大水害(1957年)、長崎大水害(1982年)、雲仙普賢岳噴火災害(1990年)を記録した写真47点と資料が展示されています。
もっと多くの人たちに災害について関心を持ってほしいという、海洋気象台職員の方の提案で実現しました。

高原至海洋気象台展①

諫早大水害(1957年)   長崎大水害(1982年)

高原至海洋気象台展②

雲仙普賢岳噴火災害(1990年)

高原至海洋気象台展③

「雲仙普賢岳噴火災害から20年、諫早大水害から54年が経ちました。来年は長崎大水害からちょうど30年を迎えます。長崎にとっての『あの日』とは原爆投下の日を指していましたが、その後の自然災害も忘れてはなりません。気象業務もその当時とは比べようがないほど進化しています。自助・共助・公助の中の‘自助’は、自分の安全は自分で守るというのが防災対策の基本です。過去の災害から学び、考えることの一助になれば幸いです。」

長崎海洋気象台職員一同

高原至海洋気象台展⑧ 高原至海洋気象台展④

〈天気概況〉
・本州から九州は太平洋高気圧に覆われ、典型的な夏型の気圧配置で長崎市も普段の夏の日であった。
・風は南西か西南西ではじめ2~4m/sであった。
・積乱雲の発生は原爆によりキノコ雲を含むものと推定される。
・降水現象は観測されていないが、市内では降水があったことが記録されている。

高原至海洋気象台展⑤

〈原爆の日の長崎の気象〉
1945年8月9日は、西日本が高気圧に広く覆われた典型的な夏の日でした。長崎市でも湿度が高く蒸し暑い晴れの日が続いていました。長崎測候所の記録によると、11時ごろにあった原子爆弾の爆発の後は、原爆とその後に起きた火災のために積乱雲が発生し、北~東の空に広がったことがわかります。その雲は、その日吹いていた西よりの風に運ばれ、島原半島の上を通り、有明海へと移動したことを、雲仙岳測候所の職員が記録しています。

高原至海洋気象台展⑥ 高原至海洋気象台展⑦

〈原爆当日の長崎測候所の自記紙(気圧や気温などの変化の傾向を記録するもの)〉
この自記紙は、第2次世界大戦終了直後の1945年9月に、米軍の調査団により米国に送られたそうです。展示されている自記紙は1974年に長崎市と広島市の代表団が米国国立公文書館に保存されている戦略爆撃調査報告書から原爆に関する資料の中に発見され、コピーを持ち帰ったもの。気圧の記録には著しい不連続が見られ、原爆によるものと考えられるそうです。爆心地からおよそ4.5Km離れた長崎測候所(現在の長崎市元町)の設備も、壁や窓、屋根、一部の測器などが被害を受けたそうです。

このほか、東日本大震災で甚大な被害をもたらした巨大津波に関する資料をはじめ、地盤沈下の起こるしくみを説明する模型、水圧を解説した模型など、さまざまな資料がそろっています。
子どもたちが校外学習で訪れるなど、一般の方にも開放されています。詳細は長崎海洋気象台までお問い合わせください。
○長崎市南山手町11-51
○TEL095-811-4863

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