2011/11/25 『一日も早い原発事故の収束と早期帰村が念願!』~福島“義捐金”町村からお礼の手紙~

さだまさし会長らが“義捐金”を持参し激励した(10/24)のに対し、各町村長さんらからお礼の手紙が届いています。

◆飯舘村長・菅野典雄さん<2011・11/23付>
『晩秋の候、皆様におかれましては益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。
さてこのたび東日本大震災により、本村は地震による被害は少なかったものの、福島第一原子力発電所のの爆発事故により、風向きの関係で放射線量が多く飛散し、大気・水・土壌が汚染され村民の暮らしは一変しました。
その後、大気や飲料水の放射線量が減り、少しずつ村民の暮らしも落ち着きを戻しつつあった最中、去る4月22日政府より「計画的避難区域」、つまり年間放射線の積算線量が20ミリシーベルトに達する恐れがあるため、概ね1ヶ月以内に全村避難という一方的な指示がなされました。避難先や暮らしのこと、補償問題など何も示されない中での突然の避難指示に、村はもとより村民の怒り、憤り、そして困惑による心労は計り知れないものがあります。
わが飯舘村は、自然豊かな田園風景の中にある純農村であり、また地域のコミュニティを長年大切にしてきた村(までいライフ)でもあります。したがって今回の全村避難は村長として耐え難いものがあり、また残念でなりません。これから避難生活を送ることになりますが、一日も早い原発事故の収束と早期に帰村できることを念願しつつ、村民一丸となって頑張って参りたいと考えております。
今回の原発事故により、全国各地からあたたかい励ましのお言葉、力強いご声援、そして多額の義援金・物資など、多くの皆様から賜りましたこと、感激の極みであり、村民を代表し心から感謝とお礼を申し上げるものであります。
皆様のあたたかいご支援に対し参上してお礼を申し上げるべきところ、誠に失礼ではございますが、書面にてお礼とさせていただきます。
皆様のご健康とご多幸を心からお祈り申し上げます。ありがとうございました。

平成23年11月  福島県相馬郡飯舘村長 菅野典雄』

飯館村

◆浪江町長・馬場有さん<2011・11/23付>
『謹啓 東日本大震災より、八か月が経過しました。この年月は無我夢中の日々であり、未だ、これが現実かと信じられない気持ちでもございます。
こうした中にあって、我々浪江町民二万有余人を全国津々浦々の皆様において受け入れて頂き、手厚いご加護を賜っております。
このたびは、丁重なるご芳志をご多用のところご持参いただき、まことに感謝にたえません。
このご篤志を町のために町民のために有効に活用させていただくべく、現在の難題をひとつひとつ着実に解決し、あすの浪江町復興、福島県の再生に向けて、全身全霊精進いたし、いつの日にか子孫が恩返しできまする日を夢見ております。
結びに、皆様のご健勝をご祈念申し上げ、略儀ながら御礼の挨拶とさせていただきます。敬具

平成二十三年十一月吉日 浪江町長 馬場 有』

浪江町

◆双葉町長・井戸川克隆さん<2011・11/22付>
『拝啓 このたびは双葉町民に対しまして、御厚情あふれる御支援を賜り、心より感謝申し上げます。
さて、3月11日の東日本大地震により、双葉町においても尊い命と財産を失い、さらに原子力発電所の事故により町民全員が避難生活を送ることを余儀なくされています。
失意の中にあって、全国の皆さまから励ましのお言葉や力強い御支援、多額の義援金などを賜り、感激の極みであります。
皆様のお気持ちが町民全員への力強いエールとなり、温かい励ましとなっております。復興はまだまだ先行きが見えませんが、町民一同、一日も早く双葉町へ帰ることを心の支えとしながら、頑張っております。
どうぞ今後とも、御支援や励ましのお言葉を賜れれば幸いと存じます。
この度の御厚情に対し、参上して御礼を申し上げるべきところ、誠に恐縮でございますが、取り急ぎ書面をもちまして御礼に代えさせていただきます。誠にありがとうございました。敬具

平成23年11月吉日 双葉町長 井戸川 克隆』

双葉町

◆川俣町総務課<2011・11/21付>
『先日は、御来町の上、多大なるご寄付を頂戴いたしましこと、厚く御礼申し上げます。
当町の復旧・復興もまだまだ道半ばではございますが、NPOナガサキピーススフィア貝の火運動様からのご厚情を糧に頑張って参る所存でございますので、今後ともご指導ご支援賜りますようお願い申し上げます。

平成23年11月21日 福島県伊達郡川俣町総務課』

川俣町<古川道郎・川俣町長>

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