2012/6/22 飯舘村からお礼の手紙

昨年さだまさし会長が南こうせつさんと一緒に訪れた、飯館村・菅野典雄村長から、お礼の手紙と震災以降の飯舘村の主な動きをまとめた「飯館村1年3か月の記録―災害と闘うふるさとを忘れないために」が届きました。

飯館村①

飯館村②

ご支援への御礼
月日が経つのは早いもので、昨年の3月11日から1年と3か月、6月22日に飯館村役場を福島市飯野町に移してから1年が経ちました。
原子力発電所の事故というかつて経験したことの無い災害に遭い、計画的避難区域に指定され、前村民が避難生活という思ってもみなかった対応を余儀なくされてきました。何かと心労の多い避難生活の中で、健康に暮らしてもらえるよう、また、離ればなれになってしまった家族がいくらかなりとも寄り添えるよう全力を傾けて頑張ってきたところです。
普通の災害は、家庭であれ、地域であれ、自治体であれ、「頑張ろう」と心が結束します。しかし、放射能の災害については、いろいろな考え方があり、対応に大変なむずかしさがあります。従って、いずれ村に帰るにしろ帰れないにしろ村民一人ひとりに出来る限り寄り添うことが大切という考え方で「村の復興計画」がつくられています。
飯館村は「までいライフ」を進めてきました。「までい」とは、左右そろえた手を意味する「真手」という古語に由来する方言で、転じて「物を大切に扱うこと」「手間ひま惜しまず」「じっくりと」「心をこめて」「つつましく」「大切に」などの意味でつかわれます。この原発事故に遭ってから、「までいライフ」こそが、20年30年先の日本の未来の姿であろうという確信を持ったところです。それは、大量生産、大量消費、大量廃棄の経済サイクルから少し暮らし方を変えてみあること、さらに互いに相手を気遣い合う「までいの心」が、これからの時代において居心地の良い生活環境をつくっていくのではないかということです。
今回の災害をきっかけにして、村が進めている「までいライフ」が全国に知られることになりました。そのことにより、多くの方々から温かい励ましのお言葉、力強いご声援、そして多額の義援金や物資、さらにはボランティアの支援などをいただきました。何とお礼を言っていいかわかりません。本当にありがとうございました。村民を代表し心からお礼と感謝を申し上げます。
皆様方の温かいご支援をよりどころにして、相手やまわりに心を配り、力を合わせて災害に立ち向かっていくことが、一日でも早い復興に繋がるものと思っているところです。
今般、村役場が、避難1年目を迎えたところで、震災以降の飯館村の主な動きをダイジェスト版にまとめてみました。ご一読いただき、これまでの村の対応やこれからの飯館村にご理解をいただければ幸いです。さらに今後とも変わらぬご支援をお願いいたします。
皆様方の温かいご支援に対し、改めて心より深く感謝を申し上げます。
皆様のご健康とご多幸、そしてご活躍を心からお祈り申し上げまして、村役場飯野出張所開設から一年経過の御礼とさせていただきます。
ありがとうございました。

平成24年6月 福島県相馬郡飯舘村長 菅野典雄

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