2022/9/8 企画展から県立高校で“平和学習”

〇企画展から県立高校で“平和学習”~被爆者・堀田武弘さん長崎新聞“声”欄で報告(2022・9/4)

この企画展は、長崎市平和の新しい伝え方応援事業に応募し採用された長崎市の写真家・草野優介さんの『“フォトグラファー体験”作品展(2022・3/8-27)』。長崎の中高生が被爆継承の担い手となりカメラに収めた「被爆者の今」と被爆体験を聞き取り学んだことを作品化したもので、中高生8人が参加しました。

 
<展示パネル>                 <長崎新聞(2022・9/4)>
堀田さんは長崎原爆の日・8月9日、長崎県立A高校(生徒数約750人)の平和集会に写真家・草野優介さんと共に招かれ、「写真で語り継ぐ原爆」として講師を務めました。当日はコロナ感染拡大のため集会は取り止めとなりオンライン集会となりましたが、校内にはナガサキピースミュージアムの展示で使用されたものと同じパネル資料が掲示されました。堀田さんはその模様を長崎新聞「情報・オピニオン」欄に投書、9月4日(日)付けで掲載されました。全文紹介します。
『長崎原爆の日から間もなく1カ月。今年は長崎市内の県立高校で被爆体験を語らせていただいた。体育館での平和集会はコロナ禍のため中止となり、オンライン集会となったが、生徒たちはそれぞれの教室でタブレットを通しての視聴となった。
当時、幼児だった私は断片的な記憶しかないため、家族の被爆体験を録音した音声を併せて紹介した。また写真を多用し、この中には原爆投下の翌日の様子を写した山端庸介氏の写真も許可をいただき使わせてもらった。
生徒たちの感想文が最近、学校から届いた。この中で私の姉が語った体験。避難先で被爆し、自宅に帰る途中に見た日見トンネル内の生々しい惨状、全身血だらけの人たちがぞろぞろと歩いてきたとの証言は、生徒たちにとってかなりショッキングだったようだ。このトンネルは日見、矢上地区などから通う現在の生徒たちにとっては通学路。当時の様子を知り戦争の悲惨さを改めて感じたという。
感想文によると、タブレットの使用により、これまでとは違い、身近な平和学習となったとの感想が多かった。
この日は長崎で写真スタジオを経営する草野優介氏も参加。中高生が被爆者に話を聞き、写真に残す活動を紹介した。そして午前11時2分、生徒たちと一緒に教室で合掌、黙祷した。』
堀田武弘さんは1941(昭和16)年生。3歳9カ月の時、爆心地から約3.3kmの伊良林町の自宅で被爆。NBC長崎放送で映像カメラマンとしてニュース取材からドキュメンタリー制作まで活躍。定年退職後はNBC長崎放送が開局以来所蔵している膨大な報道関連映像の整理、デジタル化に取り組みながら並行して長崎平和推進協会の写真資料調査部会員として原爆関連映像資料等の調査研究保存にも力を尽くしています。
また、長崎短歌の研究家としても知られ1997年刊行「長崎歌人伝・ここは肥前の長崎か(あすなろ叢書・光源寺文庫)」は幻の著作となっています。
 
<2022・3/12*ナガサキピースミュージアム:堀田・原田晋之介>

ナガサキピースミュージアムでの企画展でパネル化された堀田さんの被爆証言の一端です。インタビューは
広島・長崎二重被爆者として著名な故山口彊氏の四世(曽孫)・原田晋之介さん(15歳)です。
『ほんと、罪もない子供とか母親を殺したことは絶対許されんって思うね。それがやっぱり自分の、反戦平和を訴える活力の元になっとるね。それはどんな被爆者も同じだと思うよ。そしてさっき言ったけど、亡くなってからあの泥の中に放り込まれてから遺骨となって出て来ることなんか、絶対許されんって思うよ。それからね、よく子供とか孫に言うけどね、もし長崎の原爆がさ、松山町中心になってるけどさ、あれがね最初の常盤橋に落とされていたら自分はおらんとよ。もしかしたら君のひいおじいちゃんも死んでるかもしれんとよ。そしたら君はいまここにおらんばい。本当だったらいた人もいなくなる。一発で変わってしまう。それが原爆よ。』

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