2021/10/5 玄界灘の馬渡島で実る“ゆうこう”

〇 玄界灘の馬渡(まだら)島で実る“ゆうこう”(2021・10/2)

10月2日、浦上キリシタン資料館の新企画展『パリミッション』取材のため馬渡島<佐賀県唐津市鎮西町>を訪れた同館館長で貝の火運動理事でもある岩波智代子さんと増川雅一専務理事が青い実をつけた“ゆうこう”を確認しました。

“ゆうこう”は、さだまさしコンサート会場のグッズ販売「ゆうこうあめ(飴)・キャラメル」で全国ブランドとなった温州ミカンやレモンによく似た新しいフルーツです。
江戸時代から長崎県の外海地方などで食用として知られていましたが、近年、元長崎市職員で貝の火運動の会員でもある川上正徳さんがその歴史などを研究し新品種の果実であることを発見し大きな話題を巻き起こしています。
川上さんの調査によりますと、“ゆうこう”が見つかった地域は長崎県では長崎半島・深堀地域や西彼杵半島・外海地方、五島列島の一部、長崎市の西山・松森神社などに広範囲ですが、何故か、カトリック教徒の居住地やかつての佐賀藩関連地(飛び地)に集中しています。

馬渡島は長崎県に近い玄界灘に浮かぶ東西5km・南北4km・周囲14kmの小島で、本土からは約9km離れており、呼子港からは30分・名護屋港からは15分で1日往復8便の定期船が運航されています。勿論、かつては佐賀藩の領地で、馬の大きな放牧地であったことは有名です。現在、人口は130世帯・282人<10月1日現在>で、この内約3分の1がカトリック教徒だそうです。
ロマネスク風の丸屋根が特徴の馬渡島教会は、昭和の初めに平戸・紐差教会の聖堂を移設したもので、堂内はこうもり天井が美しい景観を見せています。馬渡島にはこれより先、江戸時代の激しい弾圧から逃れた長崎の外海・平戸・五島などのカトリック教徒が移住し、住み着いたと言われています。

“ゆうこう”については、その名前の由来を始め、いつどこから伝わりどうして広がったのか。なぜ、カトリック教徒の居住地や佐賀藩関連地域にしかないのか・・・など、解明されていません。地元の人にお聞きしても、「ゆうこうはゆうこうたい!」と返ってくるのみ<川上さん談>だそうです。
馬渡島では“げんこう”“とうこう”などと呼ばれていますが、佐賀・長崎両県果実試験場の調査では“ゆうこう”と同一の果実で、“げんこう”は馬渡島が元寇襲来の歴史を反映、“とうこう”は玄界灘を越え唐との関係を表しているのではないかと言われています。歴史のロマンを湛えた“ゆうこう“です。
“げんこう”は現在、民宿「まだらや」が『げんこう酒ぽん酢』(200ml・1200円)で販売している程度で、本格的な生産体制はまだ整っていないようです。
   

ピーススフィア貝の火運動・ナガサキピースミュージアムでは、この“ゆうこう”を100%利用したグッズ商品「ゆうこうあめ」と「ゆうこうキャラメル」を取り扱っています。各1個500円(税込み)です。
さだまさしコンサート会場、ナガサキピースミュージアムでお求め下さい。
お問い合わせは、ミュージアム事務局 電話095-818-4247
E-mail: museum@nagasakips.comへお願いします。

コメント投稿は締め切りました。