2020/8/11 RING ART代表 特集

現在開催中の「長崎市被爆75周年記念事業 「8+9 2020~ナガサキの地でアートを考えるⅡ~ RING ART展」に先立ち、6月10・17・24日長崎新聞で「RING ART」代表・野坂知布さんの特集が組まれました。(上)(中)(下)の全3回です。全文を紹介させていただきます。

長崎原爆と創作 第1部 美術 三つの輪(上)  


〈2020年6月10日付 長崎新聞〉

 長崎原爆投下から数十年後に生まれた世代にとって、原爆とはいったい何だろうか。アートに関わる者は何をどのように表現しうるのだろうか。一人の男性が、アートを通じて原爆と平和への考察を深めていく姿を紹介する。
 県立大村特別支援学校の美術教諭で、現代美術家の野坂知布(51)=長崎市=は、現代美術グループ「RINGART(リングアート)」の会長。グループは井川惺亮長崎大名誉教授と同大井川研究室OB有志らで構成し教育、国際交流、平和活動をキーワードに国内外で美術展やワークショップなどを実施している。
 野坂は大分県別府市生まれ、大村市育ち。陸上自衛隊員だった父の転勤で、小学1~5年生の間は北海道で過ごした。小学6年で大村に戻り、原爆が投下された8月9日に大村からもきのこ雲が見えた話を祖母から聞かされた。北海道にいたころ目にした有珠山の噴火をイメージした途端、悲惨さや恐怖が野坂の心を支配した。さらに学校の平和教育では、被爆体験講話や被災写真などに触れるたびに恐怖感が増し、原爆から目を背けるようになった。
 高校では野球部に入部したが、絵を描く方が好きだったため1年の途中で退部。独学で静物や人物を描いた。進路を長崎大教育学部美術科に決め、受験対策も必要だったことから3年生で美術部に入部、技術を磨いた。
 1988年、同大に入学。人物をテーマに制作に没頭した。教員には井川がいた。卒業後、画家を目指しフランス留学の費用を稼ぐため、県立諫早養護学校(当時)で臨時美術講師として勤務。失敗ばかりだったが、子どもたちが懐いてくれてうれしかった。個性を伸ばす手助けをしたいという気持ちも芽生えたが、1年後にフランスへ。留学中、子どもたちから「先生に会いたい」などの手紙が届いた。この手紙がきっかけとなり、養護教員になることを決意する。
 95年、県立佐世保養護学校(同)で教員生活がスタート。美術の授業で、巨大な紙と大量の絵の具を用意し自由に描かせると、子どもたちは裸になり体中に色を塗り始めた。衝撃的だった。子どもたちが何かから解放されたかのように、思うがままに行動する姿がまぶしかった。「これが美術の持つ美しさではないか」―。ちょうど「うまい絵」を描くことに疑問を持ち始めていた野坂に、子どもたちが答えを示してくれた。「創作は、食べたいと思って食べるのと一緒」。人物画をやめ、やってみたい、作りたいという本能のままに制作するようになった。
 子どもらと触れ合う中、衣服や紙を握ってできるしわの「美」を発見。紙や段ボールを握るなどしてしわを作り、彩色し、展示空間に並べるインスタレーションに取り組んだ。しわの絵画表現。一つのテーマとなった。
 「アートは平和の上に成り立っている。だから創作、平和活動、教育の三つの輪を広げていくことが必要だと私は感じている」。原爆や平和から目を背けていた野坂が、こう考えるようになったのは、リングアートの活動を始めてからだ。 =文中敬称略= (小槻憲吾)』

 

『長崎原爆と創作 第1部 美術 三つの輪(中)   


〈2020年6月17日付 長崎新聞〉

 野坂知布(51)=長崎市=が、県立佐世保養護学校(当時)で美術教諭として働き始めたのは1995年。その後、「しわ」をテーマにした現代アートに取り組むようになった。美術や美術教育について研究を深めたい―。そんな思いが高まり2007年、改めて長崎大大学院教育学研究科に入学。大学生時代以来、教授の井川惺亮(75)の下で再び学ぶことになった。
 愛媛県出身の井川は長崎大に着任した1984年、学生の提案もあり、8月9日に学生の作品を研究室に並べて原爆犠牲者を鎮魂する作品展「8+9」を始めた。野坂も大学生時代に8+9へ出品していたが、「研究室の展覧会に出していたという感覚。出すことで平和に貢献できたかなと思うくらいで終わっていた」。
 2009年、「人類のためにアートは何ができるのか」という問いを据え、長崎大井川研究室OB有志らと井川は現代美術グループ「RINGART(リングアート)」を立ち上げた。メンバーには同大学院に通う野坂もいた。
 それまで原爆や平和から目をそらしてきていた野坂。8+9の運営に携わりはじめたが、自分自身の平和への思い自体、“風化”しているようにも感じられた。「平和」は抽象的な言葉。原爆はさらに「敷居の高いもの」だった。「平和とは何か」。何日も悩み続けた。
 ある日、特別支援学校の子どもたちが美術制作を楽しんだり日常を過ごしたりしている様子が思い浮かんだ。誰もが主張でき、参加でき、自由に表現できるアートを通し、身近な平和を発信できないだろうか。身の回りのことを表現して美しさや感動、心の豊かさなどを人に伝えられれば―。 
 リングアートの会長となった現在も、「アートはどう平和に貢献できるか」と考え続けている。8+9は市民から広く作品を募集。出品作は年々増え、昨年は100を超えた。
 昨年の8+9では初めて「被爆の風化」に着目。長崎市の画家で被爆者の川口和男さんと、被爆者の一瀬比郎さんを迎えたシンポジウムを計画した。しかし開催前に90歳の川口さんが亡くなった。また開催後、一瀬さんも死去。「これが避けられない現実。被爆者に頼ることはできなくなる」。野坂ら戦争も原爆も体験していない世代は、体験者と接する機会さえ失おうとしている。「私たちは何をすべきか」。答えを探し続けている。
 今年は被爆75年事業として7月から8+9を予定。新型コロナの影響で不安は残るが、テーマを「静か」と定め、実施する考え。申し込みがあった作品約100点を並べる。
 「コロナ禍でも作品を飾り、平和を祈願、鎮魂する意味はある」。野坂は時代の流れに向き合いながら、平和に関わるアート活動を続けようと考えている。 =文中敬称略= (小槻憲吾)』

 

『長崎原爆と創作 第1部 美術 三つの輪(下)   


〈2020年6月24日付 長崎新聞〉

 県立大村特別支援学校の美術教諭、野坂知布(51)=長崎市=らの現代美術グループ「RINGART(リングアート)」が毎年夏に開く平和展「8+9」で、関連イベントとして「折り鶴パフォーマンス」という取り組みがある。8月9日、爆心地公園(同市)にある「ナガサキ誓いの火」灯火台モニュメントを折り鶴で飾る行事だ。
 モニュメントは、井川惺亮長崎大名誉教授(75)がデザイン。野坂は2009年から同パフォーマンスに参加している。当初、国内外から多くの人々が集まる同公園独特の雰囲気に興奮した。「世界の爆心地だと実感した。国籍や宗教が違っても同じ平和への思いを共有できる場所」。平和活動と無縁の人生を歩んできた分、感動も大きく、貴重な平和体験となった。
 長崎大附属特別支援学校に勤務していた12年、同校の平和集会を同公園で開き、同パフォーマンスにも参加することを提案。子どもたちが体験を通じて「平和」という抽象的なテーマに接してほしいと思ったからだ。
 以前、原爆の悲惨さを講話や写真で知った子どもたちがショックを受けたことがあった。「楽しむアートを通じ平和について考える機会をつくれないだろうか」。折り鶴を制作し、爆心地に行くこと。それは障害がある子たちにとって挑戦であり、同時に大きな体験になる気がした。
 「健康面でリスクもある」。賛否はあったものの、最終的には小中学部、高等部の子どもたちと保護者ら約100人が同公園に集合。行き交う外国人らと交流しながら鶴を折り、モニュメントに飾った。後日、高等部の生徒が作文を自主的に書いてきた。
 「外国の方に(折り鶴の作り方を)教えていると、言葉は違うけれど、言いたいことは伝わっているんだと、何かひとつのことを皆でいっしょにやることで気持ちが伝わる。それもひとつの平和だと感じました」
 野坂はこう語る。「戦争を知らない私たちは、戦争の苦しみや悲しみを受動的に知るだけでは平和を求めきれない。しかしパフォーマンスに参加し、なぜ爆心地に行ったのか、鶴を折ったのかを子どもたちは自分で考えた。それは紛れもなく彼らの主体的な体験となる。そこから何かが始まる」
 野坂が同校を離任した18年以降も爆心地公園での平和集会は続いている。今年は新型コロナのため、子どもたちが事前に制作した折り鶴を野坂が8月9日にモニュメントに飾る。現在勤務する大村の子どもらの色鮮やかな折り鶴も携える。
 「アートで平和に貢献する」。そんなテーマを掲げ、野坂は今、創作、平和活動、教育の三つの輪をささやかに広げていくことがとても大切だと考えている。 =文中敬称略=  (小槻憲吾)』

長崎市被爆75周年記念事業 「8+9 2020~ナガサキの地でアートを考えるⅡ~ RING ART展」は、9月5日(土)までナガサキピースミュージアムで開催しています。是非お出かけください。

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