2020/7/26 「石井幹子“五輪で戦争のない世界を”」

〇 石井幹子“五輪で戦争のない世界を”
~長崎新聞企画「戦没オリンピアン」(2020・7/25)
ナガサキピースミュージアムの照明をデザインして頂いた国際的な照明デザイナー・石井幹子(いしいもとこ・1938年生・2019年文化功労者)さんのお父様は戦前、日本を代表するサッカーの名選手でした。
長崎新聞は2020年7月25日付の第15面・企画「戦没オリンピアン:戦禍の記憶 75年の先へ」で石井幹子さんにスポットを当てています。「戦没オリンピアン」は日本代表として五輪(オリンピック)に参加し、第二次世界大戦に従軍し犠牲になった選手たちのことで、記事によりますとその数は38人が確認されており、石井さんのお父様で1936年ベルリン大会参加のサッカー主将・竹内悌三さん(享年37歳)はシベリアに抑留され旧ソ連・アムール収容所で病死されました。
石井さんは2003年4月19日、被爆都市“長崎”の海の玄関口に開館したナガサキピースミュージアムの照明を担当され、平和の象徴カラー「グリーン」を前面に打ちだしたライトアップで、同館がポリシーとする“未来の子どもたちに平和な地球を”サポートして頂きました。同館を支える市民の心をカラー化した「レッド」とも相俟って今尚平和を発信しています。

*石井幹子デザイン・「ブルー(平和)」&「レッド(情熱)」

長崎新聞:7月25日(土)付・第15面(企画) 『戦没オリンピアン:戦禍の記憶 75年先へ』は一面全部を使い、戦争の犠牲となったメダリストら38人のリストを付けて、石井さんのインタビュー、そして、お父様が病死された旧ソ連領アムール州の現地ルポでいわゆる「シベリア抑留」の一端を紹介しています。

この中から、石井さんのインタビューで「五輪で戦争のない世界を」とお話しされた平和への強いメッセージ部分を掲載させて頂きます。

『 戦争のない世界をつくるきっかけになってほしいー。新型コロナウイルス感染拡大で、来夏に延期となった東京五輪・パラリンピック。世界的な照明デザイナーの石井幹子さん(81)は、オリンピアンだった父を第2次世界大戦後の旧ソ連によるシベリア抑留で失った。「誰もが平和が大切だとわかっていながら、地域紛争は絶えず、人種や宗教を巡る対立が続く。だからこそ、各国の選手が集う大会の開催を願っている」と語る。
 石井さんの父、竹内悌三さんは旧東京帝大を卒業後の1936年8月、ベルリン五輪にサッカー日本代表の主将として参加した。ポジションは主にディフェンダーで、先発した初戦は優勝候補の一角だったスウェーデンを破り「ベルリンの奇跡」と国民を歓喜させた。大会後は欧州各国を視察し、最新の戦術や技術を持ち帰るなど、日本のサッカーの発展に貢献した。
 帰国後に結婚し、娘1人と息子2人に恵まれた。自分で図面を引いた東京・板橋の一戸建てでは、帰宅後も麻のスーツで過ごすような折り目正しい性格だったが、初めての子どもの石井さんにとっては「べたべたに甘い父。一番にかわいがってくれた」と笑う。
 毎朝、大塚まで電車を乗り継いで通う幼稚園に付き添い、家でままごとの相手をした後は必ず膝の上に抱っこ。勤務先だった保険会社をのぞきに行ったときには、アイスクリームにプリン、真っ赤なサクランボがのったデザートを食べさせてくれた。
 そんな穏やかな生活は44年8月、35歳だった父が召集されたことで一変した。3日続けて親族や同僚らを自宅に招いた宴会でこれまでの感謝を伝え、約1週間後には中国大陸へ出征。5歳だった石井さんも駅で旗を振って見送ったが 「いつか帰ってくると思っていた。悲しいとか、そういう思いはなかった」。
 空襲警報が響き、父が庭につくっていた防空壕に逃げ込むようになっても、戦地からは手紙が届いた。石井さんが読めるようにと、片仮名で「オクツテクレタカミノオヒメサマヲカザツテヰマス」 「ハハノテツダイヲシテオトウトノメンドウヲミテクダサイ」 などとつづられた文面を読み返し、無事を疑わなかった。
 45年8月に終戦を迎えた後も 「遺骨も、遺髪も届いていない。当然生きている」と 信じていた石井さん。父の死を知ったのは3年後の48年春で、小学4年になっていた。アムール州の収容所で一緒だったという友人の話では、シベリアへ抑留された翌年には下痢がひどくなり、食事もできずに衰弱し、ある朝、亡くなっていた。46年4月のことで、37歳だった。
 石井さんは事実を受け止めようとしても、夜に寝床へ入るたびに「帰ってくるのでは」と、門が開く音がしないかと耳をそばだててしまう日々が続いたという。父の遺骨は今も戻っていない。
 石井さんは2015年3月、サッカーやフットサルに打ち込む子どもがいる母子家庭を支援する「竹内悌三賞」を立ち上げた。そこには、抑留仲間に「自分の生涯で五輪が最も輝ける瞬間だった」と語っていた父のサッカーへの思いと、戦後の混乱の中で自分と弟2人を育ててくれた母への思いを込めている。
 「平和を保つことは大変」と語る石井さん。東京五輪の期間中は、隅田川にかかる10の橋をライトアップし、世界から訪れた選手や観客らを楽しませる計画だった。「全ての人が戦争のない世界で暮らせるようになるためには、お互いを知って信頼を築くしかない。五輪を通じて、平和の土壌をつくってほしい」と願っている。』

*石井幹子さんデザインの著名な照明は「東京タワー」・「横浜ベイブリッジ」・「姫路城」などありますが、
長崎市では「ナガサキピースミュージアム」のほか、「浦上天主堂」・「水辺の森公園」などの照明が石井さんのデザインです。

コメント投稿は締め切りました。