2019/8/15 小崎登明展

『修道士 小崎登明・91歳』展、始まりました

原爆孤児でカトリック修道院で育った小崎登明さんは今年91歳。その生涯ばキリストの愛゙に満ち溢れています。
長崎市本河内にポーランドからやってきたコルベ神父が作った聖母の騎士修道院で学び、布教に尽力を捧げました。
ポーランドの神父・修道士との交流、コルベ神父が殺されたアウシュビッツの10回にも及ぶ巡礼を始めとして、長崎ゆかりの被爆マリア像や戦後の日本各地で社会福祉にその名を残すゼノ神父(“神父”として親しまれているが、本来は“修道士”である)との出会いなど その生涯はまた光り輝いています。
今回の展示は小崎さんがこれまでに撮りためた厖大な写真から長崎の昭和30年代から50年代の風景を折り込みながら「コルベ神父」「被爆マリア像」「ゼノ神父」らに焦点を当てた写真を約80点掲示しています。
小崎さんは現在、諌早市の老人ホームで生活していますが、展示初日は91歳には見えない元気な姿で駆けつけ、マスコミ各社の取材に対応しました。
小崎さんはこの取材の様子を、自身のブログ「小崎登明の91歳日記」の中でも紹介しています。
『★安堵する間もなく、ドカッと、館内は、テレビや新聞記者であふれてきた。もう、ビックリしましたよ。★テレビはNHKも入れて、3テレビ。新聞は、長崎新聞を入れて、他に2社。次から次へと質問攻めに遇った。カメラを向けられる。新聞記者は問いかける。こんな出来事は初めてだよ。アタマは、こんがら、がって、整理もつかない。開館と同時に始まって、昼の12時過ぎまでつづいた。ホントに疲れました。』

テレビはいずれもニュース枠で、NBC・NCC・NIBで放送されました。
新聞は、15日付で長崎新聞・朝日新聞に掲載されました。全文をご紹介します。


長崎新聞 2019年(令和元年)8月15日(木)付

『 かつて長崎で暮らしたポーランドの修道士の姿を通し、平和の大切さを考える写真展「修道士 小崎登明・91歳」が14日、長崎市松が枝町のナガサキピースミュージアムで始まった。長崎で被爆した修道士、小崎登明さん(91)=諫早市在住=が1955~65年に撮影したモノクロ写真約80点が並ぶ。
北海道から長崎に戻った75年当時の「被爆マリア像」の写真も初めて公開された。
 小崎さんは長崎原爆で母親を失い、孤児となり、聖母の騎士修道院で生活。月刊「聖母の騎士」の編集に携わり、同修道院やポーランドのコルベ神父のゆかりの地を撮影してきた。
 撮りためたネガアルバムは56冊。5年前、諫早市の養護老人ホームに移った後、小崎さんのブログを通じて知り合った長崎市の野々村哲さん(42)と塩沢美樹さん(36)がネガ約1万枚余りをデジタル保存。3人で編集した写真集「昭和に生きた修道者たち」を今年2月、自費出版した。
 写真展では、デジタル化された写真の中から長崎にゆかりの深いゼノ神父らの姿や、かつて同修道院があった大浦地区の街並み、ポーランドの様子をとらえた写真を展示。小崎さんは「孤独と出会いを通して、愛と命の喜びを感じる私の人生そのもの」と述べ、2人との出会いから発展した同展に感慨深い表情。
 野々村さんは「ステレオタイプの修道士の写真ではなく、それぞれの素顔がよく出ている」、塩沢さんは「さまざまな発信を続けている小崎さんの生き方を感じ取ってもらえたらうれしい」と話した。9月8日まで。月曜休館。 (高比良由紀)』

 

 
朝日新聞 2019年(令和元年)8月15日(木)付

 『原爆投下で孤児となり、「聖母の騎士修道院」で暮らしながら語り部もしてきた修道士・小崎登明さん(91)=諫早市=の写真展が14日、長崎市松が枝町のナガサキピースミュージアムで始まった。小崎さん自身が1950~70年代に撮影した写真約80枚を通じ、歩みをたどることができる。9月8日まで。
 小崎さんは1945年、三菱兵器製作所のトンネル工場で働いている時に被爆。唯一の肉親だった母を亡くし、修道院で育った。
 「神さまはいるのだろうか」と、一時は信仰がゆらいだ。そんな時、同修道院を開設したコルベ神父がアウシュビッツ収容所で身代わりを申し出て刑死したことを知り、「人間には希望がある」と思うようになった。著書や講話を通じて「二度と原爆や強制収容所のない世界に」と訴えてきた。
 今回は、小崎さんのポーランド訪問や修道院の日常風景、取材に訪れた作家の遠藤周作を案内した際の写真など82枚を展示している。小崎さんは「世界の人はみなきょうだい。平和を願いながら見てもらえれば」と話している。開館は午前9時半~午後5時半(最終日は午後2時まで)。入場無料。問い合わせはミュージアム(095・818・4247)。 (榎本瑞希)』

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