2019/6/20 池田勉写真展

〇池田勉写真展『潜伏キリシタン祈りの里』開幕

造船マンを定年退職後写真家として活動する長与町在住・池田勉さん(1942年生)の写真展がナガサキピースミュージアムで開幕しました。池田さんは在職中からカメラマンの腕を磨き、今回展示しているキリシタン関連だけでも10年以上のキャリアの持ち主で、世界遺産に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の神髄に迫る作品が来館者を魅了しています。初日(18日)には長崎・毎日・読売の各新聞社の取材、20日にはNBC-TVの取材とマスコミ各社の関心も集めています。
 今回は写真家池田さんにとっては29回目の個展で、昨年(2018年)7月30日、朝日新聞出版から刊行された写真集『長崎・天草 潜伏キリシタン祈りの里』に収められた作品から抜粋し約40点を展示しています。
写真集出版に際しては、ナガサキピーススフィア貝の火運動のさだまさし会長もメッセージを寄せています。
「我がふるさと長崎で、かつてキリシタン弾圧という不幸な歴史があった。彼らが命がけで守った祈りとは何だったのか。潜伏キリシタンの里を巡礼するとき、先人となる敬服の一冊。さだまさし」

写真集『長崎・天草 潜伏キリシタン祈りの里』に収められた世界遺産の12構成資産は、「原城跡」・「平戸の聖地と集落(春日集落と安満岳・中江ノ島)」・「天草の崎津集落」・「外海の出津集落」・「外海の大野集落」・「黒島の集落」・「野崎島の集落跡」・「頭ヶ島の集落」・「久賀島の集落」・「奈留島の江上集落(江上天主堂とその周辺)」・「大浦天主堂」です。


 

ナガサキピースミュージアムでの展示会に寄せられた池田勉さんのメッセージです。

 『1549年フランシスコ・ザビエルによりキリスト教が我国に伝来されて以来、戦国大名と交易を図りながらの布教活動で、キリシタン(キリスト教信者)が最盛期には40万人程度まで達したと言われている。1597年には豊臣秀吉令の二十六聖人殉教事件が起きて禁教へと向かい、1614年には徳川幕府よりキリスト教禁止令が、1637年には島原・天草一揆(島原の乱)が勃発した。1639年に徳川幕府はキリスト教布教を伴うポルトガル船入港禁止で所謂「鎖国」体制を確立した。更に宣教師の追放をはじめ、五人組、寺請、宗門改、絵踏み等々の制度でキリシタンの取締まりを強化した。それに伴ってキリシタンたちは密かに独自の信仰形態を作り、所謂「潜伏キリシタン」となって信仰を承継してきた。1800年前後には外海地方のキリシタン凡そ3000人が新天地を求めて海を渡り、移住先の五島列島で新たなキリシタンの歴史を刻み、幕末期には黒島でもキリシタン史が育まれた。1865年の信徒発見直後には浦上地方や五島列島で「崩れ」(キリシタンの大掛りな摘発)が起き、キリシタン史上最後の迫害を受けている。
 潜伏キリシタンたちは宣教師の居ない長い潜伏期の中で信仰形態も変容し、1873年の禁教令解除後もそのまま継続された「かくれキリシタン」も居られたが、多くはカトリックに復帰し自らの手で「祈りの場」としての教会堂を献堂されている。 近年になって厳しい社会環境の中で過疎化が進み、中には無人化した集落も見られており、「かくれキリシタン」組織の解散も相次いでいるようである。
 作者は、長崎および天草地方の潜伏キリシタン集落の今の実態を写真で後世に残したいと思い、この10年間、各地の集落を幾度となく歩き回って、自分の体で感じた往時のイメージなどを撮影して来た。それらの作品は写真集「長崎・天草 潜伏キリシタン祈りの里」に収録されているが、収録の作品としては復活の息吹を伝える美しい教会のみならず、過去のキリシタン史の一端を表現する作品の他に、厳しい現実に直面するカトリック教会の写真や、かくれキリシタンに纏わる写真などの一部を本写真展で展示している。
 写真撮影に当たっては各集落の方々にご支援ご協力を賜り、教会堂内部やミサ等についてはカトリック長崎大司教区および傘下教会の寛大なる御高配を頂きました。茲に深甚の謝意を表します。
謹白      
心で撮る写真家 池田 勉 拝』

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