2019/4/30 さだまさし・長崎で助走!全記録

○“さだまさし・長崎で助走!全記録”
         ~NBC長崎放送「テレビニュータウン」展(~2019・5/19)

さだまさし会長が吉田正美(のち政美に改名)さんとフォーク・デュオ「グレープ」を長崎市で結成してまもなく、地元の民間放送、NBC長崎放送のワイド番組(生活情報番組)「テレビニュータウン」(毎週土曜日正午~40分)に出演する機会がありました。
1973(昭和48)年1月13日、長髪に幅広のGパン・高いヒールの靴と当時流行りのスタイルでギターを手にし、歌った曲は自作の「恋は馬車に乗って」でした。

直ぐに反響がありました。新鮮で心に響く歌声、言葉を丁寧に記した歌詞、好感持てる対応・・・「テレビニュータウン」の若いディレクターたちは初出場のその日、「グレープのレギュラー出演」を決断しました。
そして、3月3日から人気テレビ番組のレギュラー歌手として毎週生放送で歌うことになりました。
歌は、もちろんグレープ・オリジナルが中心で、「蝉時雨(せみしぐれ)」(3/3)・「雪の朝」(3/10)・「春への幻想」(3/17)・「紫陽花の詩(あじさいのうた)」(3/24)・「恋は馬車に乗って」(3/31)・「残像」(4/7)・「つばさ」(4/14)・「ふるさとを見せてあげたい<落合武司作詞・玉井妙子作曲・さだまさし編曲>」(4/21)・「魔法使いとフリージア」(4/28)と続き、グレープ人気は高まっていきました。

出演11回目となった5月5日はこどもの日特集でしたが、自作の歌ではなく、「男の子女の子<岩谷時子作詞・筒美京平作曲>」・「港<旗野十一郎作詞・吉田信太作曲>」・「虹を渡って<山上路夫作詞・森田公一作曲>」の3曲を披露し歌手としての幅が広がっていることを印象づけました。

この後、「告悔(こっかい)」(5/12)・「明日へ逃げだそう」(5/19)・「白い風とすずらん<菅原孝作詞・菅原進作曲>」(5/26)・「女郎花(おみなえし)」(6/2)・「梅雨のあとさき」(6/16)と続きました。
*「梅雨のあとさき」は、当時のさだまさし直筆の歌詞が残っています。

6月に入り梅雨の晴れ間に、「テレビニュータウン」は生放送のスタジオを飛び出して長崎市寺町・曹洞宗の名刹「晧台寺」で特別番組『泰山木の花の下で』を制作しました。境内の一角にある幼稚園の子どもたちを中心に、境内にどっかりと座る泰山木と周囲の人々との交流を描いたもので、グレープの二人は子どもたちと遊び、当時ヒットしていた郷ひろみさんの「男の子女の子」を一緒に歌いました。この番組は6月20日までに録画・編集され30日に放送されましたが、日本民間放送連盟の番組コンクールに出品され好評を博しました。

「テレビニュータウン」出演で人気高まるグレープの活躍は東京へも届き始めました。当時、NBC長崎放送でレコードの管理やタレント業務の窓口となっていた音楽セクションには非公式に多くの問い合わせなどが届くようになりました。
7月からは、特別番組でのお休みを除き、「いそしぎ*バイオリン演奏」(7/7)・「もしかしたら君は飛ぶんじゃないかな」(7/14)・「若葉のささやき<山上路夫作詞・森田公一作曲>」(8/4)・「ファイブ・セント」(8/11)。

*グレープはこの後、待望のレコード・デビュー(10/25)が決定しました。
グレープのデビュー曲は「雪の朝」。レコード会社はワーナーパイオニア(現ワーナーミュージックジャパン)。
「テレビニュータウン」の視聴者への報告で帰崎したグレープは9月末まで滞在し、その間、デビュー曲予定の「雪の朝」(9/1)・「虹がかかったら」(9/8)・「あこがれ」(9/15)・「雪の朝」(9/22)を披露しました。
「テレビニュータウン」は9月27日、特集『がんばれグレープ』を編成し、グレープのレコード・デビュー“旅立ち”を激励、グレープは“暇乞いの弁”として感謝とお礼、期待に応える決意を述べ東京へ向かいました。

10月25日、待望のレコード『雪の朝』が全国発売!大歌手へのスタートです。
 *グレープはこの年(1973年)の大晦日、民間放送全国ネット「ゆく年くる年」に出演!
「全国デビューのグレープを応援しよう!」・・・同年の12月31日放送「ゆく年くる年」(全国民放局持ち回り制作で同年担当はNET・現テレビ朝日)の長崎発で、『南国長崎は“金魚草”が花盛り!』にゲスト出演し一躍「グレープ」の名は全国へ広がりました。

グレープが初のテレビ全国ネット生放送の快挙を成し遂げたこの「ゆく年くる年」。舞台は亜熱帯・長崎半島の野母崎町で、例年なら華やかな「キンギョソウ」が咲き誇っていました・・・が、実はこの年、寒さ続きで花はまだまだ。地元の青年たちが町中を駆け回り放送開始直前には見事な“満開の金魚草畑”を作ってくれました。この熱い!支援にグレープは大感激で、“がんばらんば”の決意を固めました・・・語り継がれる伝説です。

1974(昭和49)年、お正月休みで帰郷したグレープは1月12日久々にスタジオで「明日へ逃げよう」を歌いました。東京へ戻ったグレープは「雪の朝」のキャンペーンに力を注ぐ一方、第2弾の制作を開始。長崎のお盆行事「精霊流し」を題材とした名曲が誕生します。
*「精霊流し」(4/25)発売!
これがグレープの将来を決定するビッグ・ヒットとなり、以降、スター街道をばく進することになります。
年末行われた日本レコード大賞では「作詞賞」を受賞し、ヒットに拍車をかけました。

1975(昭和50)年1月11日、「テレビニュータウン」はグレープの「精霊流し」を記念し特集番組「グレープ・ニューイヤーコンサート」を開催しました。長崎大学管弦楽団・岩谷さとしニュータウントリオとの共演で、自作のヒット曲「精霊流し」をはじめ「紫陽花の詩」・「追伸」に加え、ヴィヴァルディの「四季・冬 第二楽章」、映画主題歌「黒いオルフェ」、ジャズの名曲「メンフィス・アンダーグラウンド」を演奏しました。

同年6月には、「テレビニュータウン」がスタジオを飛び出して制作した『長崎街道』に出演。日本三大土人形「古賀人形」の里・古賀藤棚で「ほおずき」を披露するとともに、「古賀人形」を紹介しました。


古賀藤棚では、司会の永島正一さんから 「あなたたちの前途に広がる“道”には、多くの山あり谷ありで容易ではありません。心緩めることなく気を引き締めて進んで下さい」と激励されました。

*グレープ解散へ(1976年4月3日)「精霊流し」
グレープは、1973年10月25日「雪の朝」でデビュー以来、シングル盤「精霊流し」「追伸」「ほおずき」「朝刊」「無縁坂」などリリース。
アルバムは1974年8月25日「わすれもの」、75年5月25日「せせらぎ」、75年11月25日「コミュニケーション」などを次々と発売し、1975年当時で18億円以上の売り上げを記録しましたが、さだまさしさんが健康を害し休養を余儀なくされたことなどから次のステップへの余裕を残しながら、76(昭和51)年4月3日、長崎市公会堂公演を最後に解散しました。
「テレビニュータウン」出演は同日が最後で、特集「さようなら、グレープ!」が編成されました。

グレープは、解散公演終了後、ふるさと長崎の応援に感謝し、コンサート公演収益の一部を、NBC長崎放送および長崎新聞社を通じて長崎県「愛の基金」へ寄贈しました。

 グレープの長崎における活動などまとめた「テレビニュータウン」展~『ディスカバー・ナガサキ~テレビが伝えた昭和46年-51年』は、5月19日(日)まで、ナガサキピースミュージアムで開催中です。
入場無料。

 お問い合わせは電話:095-818-4247、E-mail museum@nagasakips.com へどうぞ。

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