2018/3/27 長崎・桜満開

〇 純心学園通りに“平和”の桜吹雪!(2018・3/27)

“春爛漫”の長崎です。
長崎地方気象台は3月26日「長崎でさくら(ソメイヨシノ)が満開になりました」と発表しました。長崎の観測用標準木(さくら)は、ナガサキピースミュージアム近くの南山手の一郭にある気象台の前庭にあります。
そばには「グラバー園」もあり、前方には長崎港が拡がる景勝地です。この発表に合わせるかのように長崎の桜の名所地や桜並木はほぼ満開!一部では爽やかな春風に花びらが舞う様子も見られますが、因みに、今年の満開は平年(4月3日)より8日も早く、又、昨年(2017年)より12日も早い満開だそうです。


<長崎・純心学園通りの桜並木>

長崎市北部、長崎大学周辺の文京地区の桜です。長崎大学と国道を隔てる長崎純心学園(中学校・高等学校)通りでは満開を過ぎたようです。この地域は、原爆落下中心地から北東へ約1.5kmの距離にあり、前身の純心高等女学校は全滅し、戦後、若干組織を変えて再建されており、“平和”の桜吹雪とも言えそうです。


<被爆前の「純心高等女学校」>


 <1945年・被爆当時(右側矢印:純心高等女学校、左側矢印:三菱兵器工場(現・長崎大学))>

長崎純心高等女学校はカソリックの長崎純心聖母会が設置した私立の学校です。聖母会は1934(昭和9)年誕生、翌1935年、西中町教会に作った「純心女学院」を経て、現在地に1936年、「長崎純心高等女学校」として白亜の美しい校舎5棟とともに開設されました。
しかしながら時代は、当時の日本が戦争へ突き進む不幸な時代でした。1941(昭和16)年太平洋戦争が始まり、否応なく、学生・生徒を含め学校も戦争推進へと組織化されます。「学徒動員」の名で、13歳・14歳の女子生徒が、「兵器工場」へ駆り出されたのです。
美しい桜並木の下に設置された銘板(被爆表示板)に「長崎純心高等女学校」の悲劇が刻まれています。

『純心高等女学校は、1945年(昭和20年)8月9日、午前11時2分、原子爆弾のさく裂により木造2階建て本館校舎、同寄宿舎、幼稚園などの施設が倒壊全焼した。原爆による同校の死亡者数は、動員先の工場で職員2人、生徒135人、学校で職員4人、生徒1人、自宅で職員1人、生徒71人の計214人であった。1945年10月15日、大村市植松の海軍航空廠工員宿舎跡で生き残った生徒332人で授業が再開され、昭和23年4月には新校舎が焼け跡に建設された。長崎市はこの地で亡くなられた方々の冥福をお祈りし、二度とこのような惨禍が繰り返されないことを願って、この銘板を設置する。
2004年(平成16年)3月 長崎市(原爆資料館)』

 
<満開の桜に包まれた「長崎純心学園」>

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